鳥居平城 Topへ
鳥居平集落の中程、民家の奥にそれらしい里山がある。ちょうど八幡神社の向かいである。
登り口から登り始めると、クマかサルの捕獲用ワナの隣に井戸跡らしい穴を見つける。更に
登ると、一つの郭に出る。
堀切を下り、隣の郭に向かった。虎口は細い道を通り、一折れで見張り台を発見。
次の郭、更に次の郭と連続した細長い河岸段丘上に構築された城だった。
☆所在地 蒲生郡日野町鳥居平



2003.11.15 撮影
追記
この城は、奥津保の丘陵上に築かれた城郭の一つで、この城の東方700mにあった四ツ谷城の支城として
築かれたといわれ、享保年間に刊行された『淡海温胡録附巻 古城之図』には削平地が記され『砦』とのみ
記されている。城主には、蒲生家家臣寺倉氏、『蒲生郡志』が記す蒲生氏の家臣吉倉氏、といった名が伝承
されているが、この城の規模が確認されているだけでも約600m×130mにおよび、更に南東側に広がる
可能性もあり、一家臣の居城とは考えにくい。
遺構は、標高220〜230m程の東西に延びる丘陵尾根上に、10数箇所の曲輪が残っている。大きく3ブロックに
分かれていると考えられる。 先年紹介したのは、そのうち丘陵先端のブロックで、曲輪の周囲を土塁で囲んで
いる。今度紹介するのは真ん中のブロックの、中でも最も集落に近い主曲輪と考えられるもので、四周に土塁を
廻らせているが、後方の曲輪とは浅い堀切で連結しており、喰違い虎口を持っていることから、小倉氏や蒲生氏の
一家臣のレベルではなく、奥津保、さらには永源寺方面への侵攻時に、蒲生氏が拠点城郭として使用したのでは
ないだろうか。


2009.9.26 撮影