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京・大阪と北陸路を結ぶ重要な地点に設けられた山城。
永正二年(1505)高島郡玄蕃允が高島郡内の出城として築城。
元亀年間(1570〜73織田信長の高島郡内攻略の時攻略され、天正元年(1573)磯野員昌、
のち織田信澄は大溝に城を移した。
山頂部には、築城当時の石垣がわずかに見られるが、やはり土の城と言った方が当たっている。
主郭から北の郭までには、両方に小さな削平地が連続し、北の郭に入るには両側に小さな郭で
防御された土橋から虎口を通って入る。中はいくつかの高まりを持っており、建物の存在を予想
させる。
中主郭は土塁で囲まれ比較的小さな郭だが、虎口は枡型のようだ。
南郭は中主郭より削平地を通るとすぐ目の前である。
その下段にも削平された郭があり、信長時代に修築されたものであろう。
☆所在地 滋賀県高島郡高島町字長法寺






2004.7.24 撮影