脇坂氏舘跡           Topへ

「淡海木間攫」に脇坂村に居住した武士の名前として、脇坂久左衛門・脇坂左介・脇坂甚七郎などの名前を
挙げている。また、脇坂宮左衛門安守・左近兵衛は京極氏の物頭であったと述べている。彼らの多くは浅井氏
家臣となったと考えられるが、安治もその脇坂家の一流から出たものと考えられている。

今も脇坂谷の最奥にある五社大明神跡には「安治産湯の池」が存在し、その手前には安治屋敷跡である事を
示す石碑が建てられている。

                                        「歩いて知る 浅井氏の興亡」より


今年になって行ったところ、最近この道路が「初期小谷城大手門跡」なる石碑が建てられていた。確かに先日、
滋賀県教育委員会の北村先生や木戸先生から、最初小谷城の正面は丁野の集落から登城するようになっており、
脇坂谷が大手だった、と聞かされていたので驚きはしなかったが、早速そのような石碑が出来ていたのには驚いた。

☆所在地 滋賀県長浜市湖北町丁野の脇坂谷

 

 

 2012.1.8 撮影