和南城 Topへ
和南の集落にある多度神社背後に残っている城跡である。今はコンクリートでガッシリと固められているが、
数年前は土砂崩れで大変な惨状を見せていた。
コンクリートの脇から登ると、数分で尾根に出る。尾根には尾根と平行した空堀が掘られている。この空堀は
何の意味だろうか?横移動を防ぐためだろうか? 疑問を持ちつつも尾根を進むと、これまた数分で堀切と
土塁で守られ、大きな石を土塁内に使った曲輪が現れる。これが主曲輪としておいたが、その上部に更に
二段の曲輪らしきものがある。こちらは削平が甘く、これは主曲輪ではないだろう。しかし、その背後には、
立派な土塁を持ち堀切で城域を画した防御施設を持っている。
小椋氏は室町中期に分家し、本家は佐久良城を本拠に西谷、鳥居平、長寸を支城とし、小倉東家は小椋城、
高野城を支配し、永源寺山上を領する小倉西家は山上城を根拠とし、和南、山田、八尾などを枝城として支配
した。
織田信長と敵対する六角氏は、永禄元年(1558)信長の八風峠越えに同行し、道案内をした小倉左京亮実房を
攻撃した(和南の戦い)。
☆所在地 滋賀県東近江市永源寺和南


2008.7.10 撮影