山上城 付:山田城 Topへ
小生の居住する町内にも郷土研究の士がお見えになり、ホームページを作成発表されております。それに
よると、『寛正二年(1461)、近江国神崎郡山上郷の山上城主・小椋頼利は、浄土真宗中興の祖といわれる
本願寺八世蓮如上人に帰依し、宝蔵坊教尊と称する。』
また、『延徳二年(1490)5月、教尊法師は智積郷佐倉之里に浄土真宗教化のため念仏道場として法蔵坊を
創建し、同信の徒16名も付近に住み着き、やがてその土地を山上(やまじょう)と命名した。』他と、隣の滋賀県
永源寺町との関係を記載されております。そこで、小生は小椋氏のことを調べるようになり、そして山上城にも
再度アタックしたわけです。
どうも山上城の小椋氏は庶流の小椋氏で、嫡流は佐久良のようです。山上城は、山田城(山上小学校付近)・
八尾城(愛知川の更に上流部)・和南城(和南町多度神社付近)の3箇所を支城とするようです。
山田城は、天正元年(1573)に図師越後守定清と見え、弘治年間(1500年代半ば)に六角義賢から感状を
得た六郎兵衛尉もいる。また文明12年(1480)には、山田姓を名乗る山田右京亮幸実が見える、とあります。
図師と小椋氏との関係など、まだまだ分からないことが多いのですが、小椋氏の通字である『実』を使っている
ことと地名を名字にしていることから、この人あたりが小椋氏の関係ではないだろうか。
☆所在地 滋賀県永源寺町山上


2009.12.5 撮影