山中山城         Topへ

山中城という城が土山にあるものと水口にあるものと二城あるので、土山の方を山中山城と呼ぶこととする。

「山中山城は、土山町山中の中央、国道一号線の工場脇に石碑を建て、その南方山腹に残る」とあるが、城跡は
明確でなく、山腹から山頂にかけまた尾根沿いに幾つかの削平地が残っている。いずれどの削平地も関連するで
あろうから、削除することなく記録しておくものとする。

城跡は曲輪の東と西に土塁を残し、付近に「堀内」「大門」「同心屋敷」などの小字がある。

山中新五郎俊直は、建久五年(1194)鎌倉幕府より鈴鹿山守護として、鈴鹿山賊、盗賊を鎮める役命を受けている。

この山中村地頭職、上山村友行名下司職は、山中俊直、俊信、有俊、氏俊を経て、建武二年(1335)になり、実秀の
代に為顕と道俊で所領を二分して、鈴鹿山警護役は二人で役を果たしている。 
南北朝の動乱で勢力を増大した道俊は、養子頼俊をして柏木御国惣庄検段職をもたせ、甲賀郡内でも代表的な
武士に生長した。

その後、水口町に移り住むようになる。

☆所在地 
滋賀県甲賀市土山町山中

 

 

 
                                             2011.10.09 撮影