横山城               Topへ

大変申し訳ないことに、今まで横山城だと思い込んでいた場所が間違っておりました。
慎んでお詫び申し上げます。

場所は観音寺トンネル手前の駐車場に駐車し、案内板により登った次第です。

ご存知の通り、横山城は京極氏の一城として築かれ、その後秀吉が小谷城の監視のため
整備した城であります。城はY字型に設置されており、主郭はその頂点にあるものの、その
北側には大きな作事は存在しないようでした。

☆所在地 滋賀県長浜市堀部町

 

 

 

 

 

 

 

 

                                      2004.3.6 撮影

   追記   平成24年1月28日

今年初めての連続講座が開催された。 場所は石田三成の屋敷跡に建つ石田会館。 多くの顔見知りの
方が来られていた。

今日の講義内容は松下さんが担当され、
「姉川合戦は戦国史上稀に見る正面衝突した大会戦だったのか!!!!!」
どうだ、五つも「!マーク」をかいたぞ!


参加戦力は、信長公記などによれば、浅井軍5000、朝倉軍8000に対し織田軍35000、徳川軍5000。 
まあこんなものかと思うが、織田軍が少し多すぎるかな。


織田軍の戦略は、横山城の攻略が目的で、信長は敵が進出してくることを予想していなかったが、予想に
反して本陣間近での戦闘が行われた。

浅井軍の戦略は、朝倉軍の到着を待って進出。横山城の救援が目的で、信長本陣への攻撃は予想外。

戦闘結果、一進一退の攻防、時に乱戦。 ある程度の戦闘状態。徳川軍の活躍は、江戸時代の軍記物が
根拠になっていることから疑問。信長による戦果の誇張。 その後3年間に及ぶ元亀の争乱の元になった
戦いであることから、それ程大きなダメージは受けなかった。

「いよいよ雪中行軍で、横山城に登るぞ。しかしこれから登ると見学して降りるのは何時になるかな?」
「7時過ぎるんじゃないかい?」
「それじゃまるで『八甲田山 雪の行軍』やないか!」
「お、かっこええなぁ」
「何が格好ええの、わたしゃ、北大路欣也さんとは一緒に行かへんでな」
「ほな、誰と行くねん?」
「きまっとるやろ! だれやったかいな、あの、ほら、古い奴だとお思いでしょうが、となったら、なんて
名前やった?」

「鶴田浩二やないか」
「ツルコー? 違うな、そうや高倉健や!」
「何か知らんが、高倉健の名前思い出すのに、『古い奴だと・・・・』を出さないいかん程ボケとる人と
喋りたないわ」
などと、喋ってる間に暗くなって二重堀切の辺りで中止になりました。

また今度、雪がとけたら行ってみて下さい、との事。

 

 
                                                   2012.1.28 撮影