丁野山城 Topへ
「丁野山城は、永正15年(1518)浅井備前守亮政によって築造された戦国時代の山城で岡山城
とも呼ばれている。 天正元年(1573)織田勢との小谷城攻防の時に浅井を加勢に来た越前朝倉
勢(堀江甚助、久保田勘十郎、玉泉坊等)が立て籠もっていたが、同年八月一三日に落城した。」
現地案内板より
『信長公記』によれば、天正元年八月一三日に落城した。城を守るは平泉寺の玉泉坊。
この落城をきっかけに、いやその先、大獄の落城をきっかけに丁野城が落ち、朝倉家は刀根の坂
道から転げ落ちるように没落への道を早めていった。
訪れた時は、翌週が「小谷城の春祭り」とかで、JR主催歩こう会のコースに選ばれていて、下草を
刈ったばかりの最適な状態であった。天気も曇り気味で写真を撮るのに最高。
山頂は南北に堀切で三つに分かれており、主曲輪は真ん中であろう。土塁は無い。
北側の曲輪との間、その西側が大手虎口であろう。虎口を守る張り出しが残っている。その反対側
が搦め手の虎口で小谷が望める。主曲輪の西にはいく段かの削平地が残り、更に竪堀が守りを固
めていた。
☆所在地 滋賀県東浅井郡湖北町丁野




2006.3.11 撮影