明知城          Topへ

大正村で名高い明智町の町外れに城が残る。

現地に建つ説明文には、
『 宝治元年(1247)源頼朝の重臣加藤次景廉の孫であり明知遠山氏の始祖、景重の築城で
遠山氏累代の居城であった。 天正2年(1574)武田勝頼軍二万の侵攻に対し、城主遠山一行は
叔父利景と共に兵500で防御するも余りの大軍によることと信長軍の援兵無く落城する。』
と書かれていた。

この城は土岐氏の支流の明智氏ではない。 区別する為遠山明知氏と呼ぶ。 城は南北朝期に
築かれたのが本当のようだ。 その後戦国時代に武田信玄の攻撃により落城したのは説明文の通り、
その際当時の城主遠山景行は5〜6騎の兵と落ち延び自刃した。その塚が「遠山塚」と呼ばれるもの。
廃城時期は、元和元年(1615)の一国一城令による。 以後は陣屋を山麓に置いた(城郭大系)。 
明智光秀とは無関係であろう。

小さな山の山頂から麓まで大小23箇所もの郭を持っていたようだが、 あいにくの空模様の為全てを
回ることは到底出来なかった。 しかし、あちらこちらに残る郭の跡は、小生を満足させてくれた。 
ただ、説明の中にある『竪堀群』は見ることが出来なかった。 
数年前に訪れた時は季節が夏だったせいか、草が生い茂り全く遺構の状況を確認できなかったことと
比べると、良く整備されておりその方々の労苦に感謝!感謝!

☆所在地 岐阜県恵那郡明智町字城山

 

 

 

 

 

 
                                           05.03.26 撮影