有子山城 Topへ
室町幕府の有力な守護大名である山名氏は、 明徳の乱で衰退したが、嘉吉の乱で盛り返し応仁の乱で一方の
旗頭を勤めるなど勢力を持ち続けた。 しかし、戦国時代に入り山名氏は勢力を失い、 永禄12年(1569)本拠と
していた此隅山城を失うも、 天正2年(1574) この有子山城を築いた。 天正8年、織田軍により城は陥落。
城主は因幡に出奔。 その後 城は織田系城主の管理となるが、麓に出石城が築かれたことにより廃城となる。
「但馬の中世史」の中で著者の宿南 保氏は、 この城郭を取り上げ、「有子山城は、南北朝期に築かれた城跡を
大改修して構築されたものと推定する」、とされている。 小生も同様に感じ「尾根に残る小曲輪群」としました。
「山頂部は全面的に大きく改修したけれども、登城ルートの山麓部は古いままにのこした」と見られたのです。
小生も、伊勢の近長谷寺城の登城ルートを思い起こし、同じ構造をしていると感じております。 しかし、お城は
やはり戦国になってからの方がよろしいですね。 大規模になってくることもありますが、構造が強固になって
くるのが、うれしいのです。
☆所在地 兵庫県出石郡出石町内町







2009.8.13 撮影