武節城 Topへ
「この城は名倉川を臨む断崖上にあり、段戸山系に続く先端を掘切って男山とし、これに主たる郭4、
従いたる小郭10数箇所を配した郡内では有数の平山城であります。 麓には関屋、古町屋(市場)
姫井戸などの当時からの地名が残っています。
一名地伏城とも呼ばれるこの城は、永正年間に田峯の菅沼定信の支城として築かれ、菅沼十郎
などの城代が置かれました。
弘治2年、下条信氏の侵略を受けて激戦がありました。また元亀2年武田信玄の三河侵入のときは
本城である田峯城とともに戦わずしてその軍門に降りました。天正3年、長篠で大敗した武田勝頼は、
この城で梅酢湯を喫し甲州に帰ったと伝えられています。越えて7月、酒井忠次に攻略され、奥平
信昌の領に加えられましたが、天正18年、徳川家康の関東移封とともに廃城となりました。」
(現地案内板より)
この城を訪れた時、城跡で畑を耕していた御老人に出会いお話を伺うことが出来ました。その方の
お話では、
この城の殆んどは自分の土地で耕していた場所は「鐘撞堂」、「道の駅」の辺りは深い田に
なっていて昔は腰までつかりながら稲を作っていた。 更にあの川の合流する辺りに「大門」と呼ぶ
場所があり、門があったと先祖から聞いている。 「道の駅」に通じるトンネルの先に深く大きな堀が
あったが、潰してしもうたわい、ワッハッハ。あの先に藁葺き小屋があるが、あれが姫井戸と言うて
今は涸れてるがあの井戸にお参りすると裁縫が上手になるんじゃと。
ああ、あの二の丸とかこの下のゲートボール場はわしが区長をしていた頃、町の役が来て頼まれたで
あれ作ったのよ。惜しかったかのう。
この方のお話は、先日の選挙戦やら子供の頃の思い出やらこの先延々と続き、結構面白く聞かせて
いただきました。ありがとうございます。
また今度お会いする機会があるまで元気にお過ごしいただきたいと願って降りることにした。
☆所在地 愛知県北設楽郡稲武町武節字城山





2005.11.26 撮影