田峰城             Topへ

田峯城は文明2年(1470)菅沼定信によって築かれ、定信→定忠→定広→定継→定忠と、代々
田峯宗家菅沼氏の居城とされました。
当時は下克上の時代、今川氏をはじめ武田氏,織田氏,徳川氏などの強大な戦国大名が台頭する
中、この奥三河では作手の奥平氏、長篠菅沼氏、そして田峯の菅沼三氏が「山家三方衆」として
結束していました。 しかし、その団結も時によっては崩れ、婚姻関係でありながらも骨肉相食む
戦いを繰り広げることになります。 五代目城主定忠は武田方に従い、家老城所道寿とともに長篠
合戦に出陣しますが、武田方大敗の報を受けた留守居の将・叔父定直と家老今泉道善らの謀反に
あい田峯城に入城できずに武田勝頼とともに信州に敗走することを余儀なくされます。復讐を誓った
定忠は、翌年天正4年(1576)7月14日田峯城に夜襲をかけ、謀反の一族老若男女96名を惨殺、
首謀者の今泉道善を鋸引きの刑に処しました。定忠は天正10年(1582)飯田知久平にて討たれ、
その後田峯宗家菅沼氏は断絶しました。          (現地案内板より)

よく整理されている城である。ただ同じ復元するなら足助城のように正確に復元したほうが小生に
とっては勉強になる。

☆所在地
 愛知県北設楽郡設楽町田峯 
 

 
                                         2005.11.26 撮影