疋壇城             Topへ

「この疋壇城は、文明年間(1469〜1487)に朝倉氏の将疋壇対馬守久保が築いたものである。

この地は、柳ヶ瀬越・塩津越・海津越の主要江州路が集まる交通軍事上の要衝であるので、
朝倉越前の最南端防衛拠点として築城されたものであり、本城の東・西・南の三方には、それ
ぞれ出城を設けられていたものと思われる。

しかし、この城が栄えたのは100年間位で、元亀元年(1570)織田信長が天筒山城を攻略した際、
金ヶ崎城とともにこの城も破壊された。信長軍の撤収後に一時は修復されたらしく朝倉の臣栂野
三郎衛門尉景仍などが布陣した記録もあるが天正元年(1573)八月、信長再度の越前進撃により
城主疋壇六郎三郎は討ち死にし、城は完全に破却された。云々」

町内でも小高い丘にあった旧小学校の隣に残っている城跡で、鉄道線路に隣接されてそれでも
まだ綺麗に残っている。主要郭内は畑として利用されており、それは神社の辺りまで続いている。
疋壇の街中を歩くと、昔暮らした懐かしい風景が残されて、郷愁をそそられた。


国道8号線脇には、草深い中に朝倉氏滅亡の際信長軍の急追に儚く散った朝倉諸氏の五輪塔が
まとまって祀られている。


☆所在地 福井県敦賀市疋田

 

 

 

 2007.8.16 撮影