燧城                 Topへ

「すぐ近くの杣山城と敦賀金ヶ崎城とともに、北陸の関門を制する重要な場所に位置している。

源平盛衰記や平家物語では、木曽義仲軍と平家軍との戦いを描写した物語が一つのヤマに
なっている。 下って南北朝では、延元元年(1236)今庄入道浄慶が足利方として立て籠もり
南朝方杣山城の瓜生保軍と対抗。 更に戦国時代の天正三年(1575)越前一向一揆と信長軍が
対戦した。」                                 現地案内板より

案内板の通り、今に残るは戦国時代の遺構であろう。

麓から登ること約30分で頂上に到着。 先ず目にしたのは、土橋とそれに続く土塁。 土塁は
二つ折れになっており、してみると土橋先端の曲輪は馬出しではないか! 土橋の下の堀が
堀底道になっており、曲輪手前から城に入るのが大手ではないか。 主曲輪に入り更に進むと、
もう一段高くなった曲輪に入る。 この虎口には、防御施設が残っていない。もちろん当時は
何らかの物があったのでしょうが。 更に進むと、石碑が建っており、その後方は腰曲輪の
ようだ。 矢倉跡らしき石積みの後ろを回ると搦め手らしく、大手同様土橋二折れの道が続いて
いた。 更にその先には、別の城、関連する城跡があるのを降りてきてから聞き、次回に回す
ことにした。

☆所在地 福井県南条郡南越前町今庄


 

 

 

 
                                     2006.8.10 撮影