伊木城                Topへ

伊木城は対岸の犬山城と鵜沼城との繋ぎの城として重要な働きを持っていた。

永禄七年(1564)織田信長は、東濃へ攻め込む為の足がかりとしてこの地を攻撃。勇将・鵜沼城主の大沢次郎左衛門を中心とする斉藤氏の抵抗に合い苦戦をした。そこで信長は家臣木下藤吉郎に鵜沼城と伊木城(城主 伊木清兵衛)の攻略を命じた。

松倉(川島町)から摩免戸(前渡)へ進軍した木下勢は、摩免戸で二手に分れ、一隊の蜂須賀隊は木曽川沿いを通って伊木城へ向かう。この隊の蜂須賀小六は伊木清兵衛と親しい間柄であったため、木下藤吉郎の書状を見せ本意を伝えることで戦わずに伊木勢を木下勢に引込むことに成功した。摩免戸から内陸道を通って進軍していた木下勢は幅上(鵜沼羽場町)でこの知らせを受けた、とされている。

その後、勢力の衰えた大沢勢は木下勢により攻め落とされた。

この地域を制した織田方は、伊木山山頂(173m)を美濃や尾張地域の見張り場としていたのでしょう。
                                          (伊木山城説明文)

☆所在地 岐阜県各務原市鵜沼字伊木山