犬山城                    Topへ

犬山城は、天文6年(1537)現在の位置に天守閣が築かれ(?)、信長の叔父織田与次郎信康が
城主となった。信康は、天文16年(1547年)斉藤道三の稲葉山城(岐阜城) を攻めた時、戦死した
ので、その子織田十郎左衛門信清が城主となった。
その後城主は何代かかわり、天正12年(1584年)3月、小牧、長久手の合戦の際は、織田信雄の
家臣、中川定成が犬山城を守っていた。

美濃の池田恒興は父織田信長の乳兄弟であったので信雄・家康方に味方すると思っていたが秀吉
方につく。その恒興に襲われ城を奪われる。そして、豊臣秀吉は、鵜沼から長良川を渡ってこの城に
入る。 長良川を越えられ橋頭堡を築かれてしまった家康は、小牧山とその周辺を要塞化してそれ
以上の進出を必死で阻止。秀吉と対戦することになる。しかし、犬山城を巡る戦いはなく、城は戦火に
さらされることはなかった。関が原の戦いでも犬山城は西軍の拠点のひとつとなるが、戦うことなく
開城している。

☆所在地 愛知県犬山市大字犬山字北古券


 

 

 
                                              2006.1.14 撮影