石垣山一夜城 Topへ
石垣山は、もと笠懸山・松山などと呼ばれていたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏の
本拠小田原城を水陸15万の大軍を率いて包囲した時、その本拠として総石垣の城を築いてから石垣山、
一夜で築いたという伝承から石垣山一夜城と呼ばれるようになった。
秀吉は、この城に滞在していた100日余りの間に天皇の勅使を迎えたり、千利休や能役者、猿楽師等を
呼び寄せ、自ら側室の淀君も呼び、参じんの諸大名にもこれに倣うように勧めた。この城は関東で作られ
た最初の石垣の城であり、石積みは秀吉が連れてきた近江の穴太衆による野面積と呼ばれるものである。
―――――城内案内板より―――――
行き方:小田原駅の西南、直線距離で3kmほどに「一夜城歴史公園」として歴史上著名なこの城跡が
ある。R1を通り、前記案内板の通り走れば、ひたすら蜜柑山を登る事になるがお城の駐車場に到着する。
小生が訪れた時は2月の初めで冬とはいえ暖かく、アワテン坊の桜が咲き出していた。
感想 :半ば観光地化されているとは言え、安っぽいそれではなく朝も早い事もあり安心して見て廻れた。
巨大な野面積の石垣は、近世の城郭には無い荒っぽいが野武士の如き磊落さを感じさせる。水の手郭の
井戸を覗けば確かに水が今も湧き出しているようだが、この周りの石垣のありようは井戸の雰囲気とは
かなり違っている。まるで石牢にいるようだ。秀吉の愛妾淀殿の化粧井戸との別名があるようだが、その
通りとすれば淀殿は相当気の強い女性だったようだ。主郭の虎口は枡形になっているが、この城は秀吉が
日本中の大名小名達に自分の武威を見せ付ける、秀吉に手向かう無駄を思い込ませる、展示場の役目を
果しているのだ。それにしても、どこで能やお茶会を開いたのだろうか? これだけ広ければ何処ででも
出来るか!
公園として利用できる小田原市民が羨ましい。 しかし、ゴルフの練習に使ったり、犬の運動のために
使うのは良いけれど、マナーは守ってね。
☆所在地 神奈川県小田原市早川字梅ヶ窪1383-11




07.02.03 撮影