石打城 Topへ
奈良県とはいえ伊賀とは1kmほどしか離れていないため、伊賀の築城形式(方形単郭)の
影響を受けている。
顕著な事績が無かったためだろうが文献上には表れない城跡。
鎌倉時代の荘園名主が幕府から地頭に任じられ、そのまま土豪となり村落を支配したと
考えられる。
城址は単郭を主郭とし、土塁、二の郭、三の郭を備えている。
☆所在地 奈良県添上郡月ヶ瀬村石打字西広
2003.5.26 撮影
追記
この地方を領していた稲垣氏の城と伝えられる。 城主の稲垣氏に関しては、伊勢に本貫地があったようで、
文明年間に三河に移り住んだ者がおりますので、その一類かもしれません。 荘園名主で幕府から地頭に
任じられ、土豪として生き残ったのでしょう。伝来の古文書などは焼失し、記録は残されていないようです。
コンパクトに整理された城で、初めて中世の城を見学するにはもってこいの研究材料ではないでしょうか。
☆所在地 奈良県奈良市月ヶ瀬石打字西広





2009.6.28 撮影