岩屋城           Topへ

岩屋城は、嘉吉元年(1441)、山名教清が赤松満祐討伐(嘉吉の変)の論功行賞により、美作国の守護に
任ぜられた際に築城されたという。
その後、応仁の乱の勃発(応仁元年―1467)に伴い、山名政清(教清の子)が上洛した虚に乗じた播磨の
赤松政則によって落城し、さらに文明五年(1473)政則が美作の守護となったことから、岩屋城には部将の
大河原治久が在城した。

永正十七年(1520)春、赤松氏の部将であった備前の浦上村宗が謀反し岩屋城を奪取、部将の中村則久を
岩屋城においた。これに対し、赤松政村(政則の子)は、同年四月部将小寺範職・大河原を将として半年に
及び城を囲んだものの落城せず、赤松氏の支配は終わるところとなった。

このことから二十四年後の天文十三年(1544)、出雲尼子氏の美作進出に伴い、岩屋城においても接収戦が
行われ、城主中村則治(則久の子)は尼子氏に従属した。しかしながら、永禄十一年(1568)頃、中村則治は
芦田正家に殺害され、芦田正家は浦上氏に代わって勢力を伸ばしていた宇喜多氏の傘下に投じたが、五年後の
天正元年(1573)には宇喜田直家の宿将である浜口家職が岩屋城の城主となるに至った。

その後しばらくは比較的平穏であったが、天正七年(1579)以降、宇喜田氏が毛利氏を離れ、織田氏に属した
ことから再び美作の緒城は風雲急を告げるところとなり、天正九年(1581)毛利氏配下の中村頼宗(苫西郡
山城村葛下城主)や大原主計介(苫西郡養野村西浦城主)らにより岩屋城は攻略され、中村頼宗が城主となり
再び毛利氏の勢力下となった。

織田氏と毛利氏の攻防は、天正十年(1582)備中高松城の開城により終了したが、領土境を備中の高梁川とする
ことについて美作の毛利方の諸勢力はこれに服さなかったため、宇喜田氏の武力接収戦が部将花房職秀を将と
して行われた。この接収戦は長期にわたり決戦の機会に恵まれず、当時備中の鞆にいた足利義昭の調停により
戦闘は収束した。

これ以降、宇喜多氏に属することとなった岩屋城には、宇喜多氏の宿将長船越中守が入城した。しかしながら、
六年後の天正十八年(1590)八月野火により消失し廃城となったと伝えられている。


 馬場跡
岩屋城の大手筋から東方面(津山方面)を見下ろすことのできる位置で、南北約108m 東西約20mの長楕円形の
平坦面が広がり、数か所の集石がある。本丸付近の郭の中では一番大きいもので、備前焼等の土器片も広範囲に
出土を見ることから、有事の際には多数の兵員が駐留していたと考えられる。

 本丸跡
本丸跡は、岩屋山の山頂を削平して造成され、東西約60m南北約20mの楕円形の規模をもつ。昔からこの地を
本丸跡と伝えられていて、ここから山頂部にある城郭のほとんど全域を見渡すことができる位置である。

また、本丸北側の垂直に近い断崖は、昔から「落とし雪隠」と言われ、天正九年(1581)の毛利氏による岩屋城
攻略戦の時、毛利方の将中村大炊介頼宗は、決死の士三二人を選び、風雨の夜この「落とし雪隠」をよじ登らせて
城内に火を放ち、大手口方面の攻略軍と呼応して攻めたので、堅固なこの城も遂に落城したと伝えられている。

 てのくぼり
土地の人が「てのくぼり」と呼んでいる畝状空堀群である。東側の谷に向かい、幅約5m・深さ約2m・長さ100m
以上の竪掘りが十二本掘られている。有事の際、攻撃側の横移動を妨害するなど山腹防御の上で非常に有効な
施設なので戦国時代の城郭において盛んに取り入れられた。


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前夜国道181号線を探したが良くわからなかった。 そこで、道の駅「久米の里」で尋ねたところ快く教えていただけた。
まだ朝が早く、準備の慌しい中を対処していただきありがとうございました。
『この道を、津山を背中に10分ほど走ると、右手に駐車場が見えます。 大きな看板ですから見落とすことはないでしょう。』
お礼を申し上げ走ること時間通りの頃、右手集落の中ほどに背の高い大きな看板がありました。 そこに集落の中の細い
道が通っており、その路地を行けるところまで進みます。 幾つかの砦跡を示す標柱を目にした後、登り口を示す標示と
城跡の表示、7・8台は停まれる駐車場があります。 
また、さらに上部により大きな駐車場があるので少々は問題なく駐車できると思います。

案内図の示す通り登っていくと、直進する階段が現れた。その両側は削平されており、慈悲門寺というお寺の関連する
施設、或いは寺を守る砦の役割か、と思える。

慈悲門寺の跡には、夥しい瓦の破片が残っていた。 当時のものか否か浅学のためわからなかった。

☆所在地 岡山県津山市中北上
 

 

 

 

 

 

 

 

 
                                                   2010.1.10 撮影