亀山城(紀伊)            Topへ

この城の沿革は、城郭大系には「武田三郎忠長が芳養内羽位に館を構えて、湯川三郎忠長と
改姓した。忠長没後光長は芳養庄をさらに強固にするため、重臣たちに防備を強化させ、一族は
庄内に定着した。光長の長子光春は、牟婁地方全体を統治するため、有田・日高・牟婁の中央に
位置する日高への進出を試み、この平野を一望するここ亀山に築城した。」


以前来た時はこれほど改変されていなかったが、この度来て見て長い年月の流れを痛感した。
以前には、周囲は雑草が生い茂るものの主郭を巡る土塁上には楠の大木が茂り、それがために
郭内はそれほど雑草がなく、搦め手の土塁の切れ目など古城の持つ独特の雰囲気を醸し出すことが
出来たのに、今回は余計なものがワレモワレモとまるでお好み焼きの広島焼きの感じで作られて
いたのが、興を殺いだ。

☆所在地 和歌山県御坊市湯川町丸山

 

 

  05.09.18 撮影