三河 亀山城 Topへ
行き方 東名豊川ICより国道151号線を北上、国道301号を経由し60分。道の駅「つくで手作り村」に隣接。
公共交通では、近くに「清岳」バス停。
歴史 応永31年(1424)、奥平貞俊によって築城。 彼は天授年間(1375〜80)に群馬県よりこの地に移り、
川尻城を築城後亀山城に居城。 その子孫はこの地で支配者としての地位を確立。
後、山家三方衆と呼ばれる有力土豪となる。 16世紀に入り、今川、松平、織田氏の配下として転々とし、
天正3年(1575)徳川方となって長篠城での戦いに勝利し、天下に名を馳せた。
縄張り 亀山城は、曲輪の頂部を東西60m南北28mの楕円形の主曲輪を中心とする平山城である。
主曲輪の北東虎口はスロープで土塁囲みのU郭に入っており、更にその南部には土塁囲みのW郭が
南部からの敵の侵入を監視している。 一方主曲輪の西南にある虎口には、堀を越えた部分に土塁囲みの
曲輪Vがあり、この曲輪は馬出曲輪と判断される。 さらにその先を下ると、左右にいくつもの削平地が
残っており、この間を通る道が大手道であろうと推測できる。
これまで馬出曲輪があるのは、武田氏と言われてきたが、現在の研究者の間では、松平氏が武田氏の築城技術を
研究した結果、馬出曲輪の技術を習得した、と結論付けられている。
なお、主曲輪の発掘調査から、この城は奥平氏の居住的拠点ではなく、軍事的拠点であった、ようです。
☆所在地 愛知県新城市作手清岳字シロヤマ





2010.10.31 撮影