上赤坂城 Topへ
一度は、有名なこの城に行ってみなくちゃならぬ、と春の良い天気の一日繰り出した。
繰り出す前から判ってはいたのだが、この城を有名にしたのは、楠木正成の活動があったから。ただ、
その後戦国期に改修され、南北朝期の城は一変している、と聞かされていた。やはり、言われたとおりでした。
この時代には横堀はまだ無い、というのが定説です。そして、曲輪の削平が綺麗ですね、ここまで綺麗に
削平される事は先ずありません。城道途中にあった、「そろばん橋」と呼ばれる竪堀を越えたところに残る
二折れの城道や、監視用と思われる上部の曲輪の配置など、とても南北朝のものとは思えない。おそらく
戦国時代の後半にでも地元の国人層が改修したのではないだろうか。
主曲輪と二の曲輪との間が「茶碗原」と呼ばれているようだが、これはこの場所が炊事場になっていたからの
ようで、その昔茶碗を発掘したのでこう呼ばれている。
またこの辺りは階段状に削平された場所が見受けられるのは、ミカン栽培をしていた名残とのことでした。
道の駅付近の「大楠公 産湯の井」とか「大楠公 誕生地」とかは、必見の余地があり、大変興味深かった。
「日光を見ずして結構と言うなかれ」とか申しますが、私ならさしずめ「大楠公を見ずして軟膏を塗る無かれ」と
申し上げたい。
☆所在地 大阪府南河内郡千早赤坂村








2011.4.17 撮影