金沢城 Topへ 金沢城石垣画像のページへ
金沢平野の中央を流れる浅野川と犀川に挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代に
かけての平山城である。櫓や門に見られる白漆喰の壁に、專瓦を施した海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた
外観などが金沢城の特徴になる。
此の地は加賀一向一揆の拠点で、浄土真宗の尾山御坊と呼ばれていた。真宗の寺院は城作りで、簡略では
あるがその気になればいつでも城郭となりうる。織田信長が一向一揆を攻め滅ぼし跡地に金沢城を築き、佐久間
盛政を置いた。後に盛政が賤ヶ岳の戦いで秀吉の為に滅ぼされると、前田利家を置いた。利家は文禄元年から
改修を加え、現在の金沢城になった。
なお、名勝兼六園は、加賀藩4代藩主前田綱紀が作らせた大名庭園である。
金沢城の石垣は種類が多く、「石垣のデパート」と呼ばれるという。そして3月3日と4日にこれまでの発掘調査の
報告会を開かれるという。このような情報を得たので、半信半疑ながら出掛けて見た。
高校時代に数回金沢に行った事はあるが、金沢大学の敷地になっており石川門を少し入ったくらいで直ぐに出た
覚えがある。ところが今回驚いた。すっかりキャンパスが撤去され、一部復興されて、昔の姿を見せているという。
しかし、こんな新しい石垣面を見せてもらっても、そりゃあ確かに綺麗ですよ、綺麗ですけど重みがありませんよねえ。
どのくらいまで復旧するのか知らないが、今でもあちらこちらで発掘調査を行っています。そこで土地をひっくり返して
いるのですが、あまり作事はせずに後世に残しておいてもらいたいな、と思いました。
「石垣の博物館」
について、石川門を入った所にある案内所で、幾つかのパンフレットがいただけます。興味のある方はそちらで
資料を揃えてから散歩されると、より楽しみが味わえます。まあ半日もあればすべて回れると思います。
「玉泉院 鼠多門周辺」
石川門とは正反対にある石川県丸の内駐車場に駐車して、逆時計回りに歩き最初に見る石垣である。この中に
古くは門があったのだが、旧陸軍の管轄下にあった時期それを解体し閉鎖した結果、このような不細工な形を見せて
いる。この辺りの石垣は横目字が一応通っており「布目積」の一種で丸い石を使っており「鶴目積」と呼ばれております。
元和・寛永期
「いもり堀の石垣」
いもり堀の北西部に位置するこの石垣は、石の正面を部分的に均して刻印を施す石加工に特徴があり、初期の粗い
加工石を積んだ石垣の一つです。(鉢巻き石垣)元和・寛永期
「寛永期の石垣」
この橋を極楽橋という。二の丸と本丸の間の空堀に架かる。その先には三十軒長屋が見える。隅角部は角石の
切石だが、築石部は横目字を意識していない乱れ積。
「二の丸菱櫓下」
復興された櫓、石垣。戸室石の自然な色調が無骨な石垣に華やかさを与えている。隅角部は美しく切りそろえられた
算木積。築石は布目崩し。
「橋爪門続櫓と鶴の丸」
今見える門は橋爪門の一の門。更に枡形門として復旧するため二の門を発掘調査している。
「二の丸菱櫓・五十間長屋」
復元された菱櫓や長屋。海鼠塀がまぶしい。
「河北門」「石川門」
この二つの門と橋爪門を加えた三つの門を総称して特に「三御門」と呼んだ。この三門が全て格式のある枡形で
ある為か。
☆所在地 石川県金沢市丸の内




2012.3.3 & 3.4 撮影