小牧山城 Topへ
永禄六年(1563)、信長が美濃の斉藤氏を攻めるため小牧山に城を築き清洲から移る。 永禄十年、美濃・
稲葉山城を陥落し、地名を「井口」から「岐阜」に改め本拠としたため小牧城は廃城となる。本能寺の変の後、
後継者争いにより「小牧・長久手の戦い」が行われ、 再び小牧城は舞台になる。
「小牧・長久手の戦い」の後廃城となり、人々から忘れ去られていたのですが、近年の中世史研究、城郭
研究が活発になり、3度目の光が当てられました。」
「小牧山城の縄張りは、山麓と中腹の横堀で二重に囲い込まれる。 中腹の横堀は、概して浅いか堀相当の
平地の前面に低い土塁を配するものが多い。 山麓の長大な土塁と横堀は家康軍の改修の際に築かれ、
秀吉軍と直接向かい合う東から北にかけて、大軍勢を収容する幅広な帯曲輪と北側の「搦め手口」などの
出撃用の虎口が築かれたと推定されている。
山麓の案内板より 」
それまで、小牧山城には石垣の使用はなかった、とされていたが最近その石垣があちらこちらに発見され、
岐阜城に先立つ石垣造りの城郭でなかったか、と注目を集めている。
☆所在地 愛知県小牧氏小牧字八幡前


2009.12.13 撮影