小丸城           Topへ

「天正3年(1575)織田信長が越前の一揆を平定した跡、佐々成政が築いた平城である。
この城は味真野の扇状台地末端に、野々宮廃寺跡の一部を取り込んで作られたもので、本丸、
二の丸、三の丸と隅櫓の遺構がよく残されている。云々

なお、北西の乾櫓から出土した一揆成敗のありさまを刻んだ文字瓦は有名である。」
                                             現地説明文

瓦文字は次の通り
「此書物後世ニ御らんじら□。 御物がたり可有候、然者五月廿四日いきおこり候まま、前田
又左衛門尉殿いき千人はかりいけどりさせられ候、御せいばいハ、はツつけ、かまニいられ、
あふられ候哉、如此候、一ふて書とめ候」

☆所在地 福井県越前市五分市町

 

 2007.8.16 撮影

小丸城虎口考  再訪

この城の主郭虎口がこのように石塁で作られていたやに表記しているHPが存在するもので、
あまり詳しい遺構残されていない筈なのに、こんなものがあったのか! どこにあったのだろう?
と疑問が胸のうちを駆け巡り、郷里に仏事があったついでに立ち寄った。

それによれば、主曲輪の残欠と思しき小山の頂部にそれが残されていた。

この虎口を超えたところが主曲輪であれば、あまりに近すぎないか?この城が造られた時期は
戦国も終わりに近く、それ相応に主曲輪の規模が大きくなっていたはずだ。 また、虎口はもっと
麓にあるべきだ。平城の頂部に作られる事はあまり感心しない。

このような理由から、この虎口風石造物は後世、もしかすると忠魂碑が作られた戦前に新たに
作られたのではないか。


 

 2007.11.6 撮影