苗木城 その2 苗木城へ Topへ
苗木城跡は、中津川市内を東西に流れる木曽川の右岸、一段と高く聳える城山(高森山)に位置する。
標高432m、木曽川から山頂の天守跡までの標高差は焼く170m。全山で巨岩が露頭した岩山があり、
築城ではかなり制約を受けているが、自然の地形を活かした山城である。
歴史
築城時期は、 @大永年間(1521~28) 遠山一雲入道昌利が築いたとする説 A天文年間(1532〜55)
遠山正廉が
築いたとする説など諸説あり、定かではない。
遠山氏については、12世紀末、源頼朝の重臣加藤景廉が遠山庄等の地頭になり、長男景朝が遠山庄へ
移り遠山氏を名乗ったのが始まりと考えられる。室町時代は奉公衆として幕府に仕え、当時は苗木の北方の
植苗木を拠点としていたが、東濃地方を支配していた小笠原氏が、大永・天文年間には衰退し此の地方から
撤退すると、戦略上の要衝の地にあった高森山に着目し、此の地に築城し移り住んだと思われる。
天正十年武田氏の滅亡と信長の急死により、東濃地方の情勢は一変する。
豊臣秀吉により金山城主の森長可が東濃地方を支配することとなったが、時の城主遠山友忠はその下知に
従わず、天正十一年(1583)苗木城は森長可の攻撃を受け陥落、友忠・友政父子は徳川家康のもとに落ち延びた。
その後、苗木城は森氏の領有するところとなり、森氏が信濃松代へ移封となった後川尻直次の領有となった。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに先立ち、家康は友政に苗木・岩村両城の奪回を命じた。友政は城を守っていた
城代関冶兵衛を逃走させ苗木城を奪還した。此の功績により旧領地の10521石を与えられ、苗木城を居城として
明治まで十二代にわたり領有した。
構造
城山の山頂にある本丸を中核とし、二の丸・三の丸が配置され、これらの主要な曲輪を結ぶように雁木坂の
登城道や帯曲輪が置かれていた。本丸には具足・武器蔵等があり、頂上の天守は四間四方の三層で、巨岩の
上に建てられていた。
行き方
JR中津川駅前から北恵那バスで付知・加子母方面行きで約15分、苗木バス停下車、徒歩約35分。苗木遠山
資料館の裏手を進むと城跡に至る。城跡入口に駐車場有。
見所
此の城の見所は、巨石の上に建てられた掛造りの構造物でしょう。またそこから見る恵那山や中津川市内の
眺望がお薦めです。
城好きの方は、此の城の防御面の主役である三の丸に建つ大矢倉がお薦めです。三層ですが、一層目は三方に
石垣で防御され、強固なつくりといえる。また、風吹門を大手門として、天守に向かう大手筋に建つ幾つかの門を
主体とする防御構造にも興味を惹かれる事でしょう。
更にマニアックな方にお薦めは、三の丸が近世以前は空堀であったこと。三の丸から不浄門という潜り門近くを
東側に進むと牢獄に繋がること、でしょう。小生も他の城で牢獄を見たことがありますが、どことなく背筋が寒くなる
気がします。
☆所在地 岐阜県中津川市苗木字櫓下・高森













2011.6.4 撮影