七尾城 Topへ
「室町期能登国の守護であった畠山氏歴代の居城とした所である。天正五年(1577)上杉謙信が
この城を囲んだ際、折からの月明かりに感嘆して詠じたと言われる漢詩『霜満軍営』は余りにも
有名。」
沿革
七尾城主畠山氏は、足利管領畠山氏の庶流である。 八幡太郎義家の後裔足利義純が、畠山
滋忠の未亡人と再婚し畠山氏を再興。 義純六代の孫 義深が能登の国他数カ国の守護を兼ね
たという。その子基国は、足利幕府の管領の位置にあり、能登・越中・河内(時には越前・山城も)
の守護を兼ねた。 応永15年(1408)基国の次男満慶が能登一国の守護となり、能登畠山氏を
たてた。 二代義忠まで京都にあり、三代義統が文明九年(1477)能登に入り、以後能登七尾で
直接統治したのであろう。
【能登畠山氏略系図】
義深
基国
@満慶
A義忠
義有
B義統
D義致
![]()
満家 ![]()
CE義元
F義総
G義続
H義綱
I義慶(義隆)
春王丸
![]()
義明(上条政繁・義春)
七尾城の落城
天正5年(1577)、上杉謙信の攻撃に曝されるも辛うじて持ちこたえていた七尾城は、重臣遊佐
続光の上杉軍に内応し城中に引き入れる事態にもはや対応できず、落城の憂き目にあった。
城内に残っていた忠臣長氏一族は、ことごとく殺戮され能登畠山氏はここに滅亡した。 何故
難攻不落を誇った能登七尾城が落城したのか。それは、前述のごとく直接の原因は遊佐氏の
内応であるが、間接には畠山氏の守護としての支配力が低下してきたこと。重臣間の結束が
出来なかったこと。 つまり、この時代になり急激に力をつけてきた一向一揆に対抗するため
越後上杉氏とは同盟関係にあったが、内実は反上杉親織田派の長氏や、一向一揆に味方する
温井氏などに分裂していた。
(この後は次回に致します。)
☆所在地 石川県石川県七尾市古城町



2007.8.17 撮影