置塩城                     Topへ

「置塩城は、戦国時代に播磨守護の赤松氏によって築かれ、その後、居城として使用された。 五代目
城主の赤松則房は、織田信長の部将羽柴秀吉に降り、天正八年(1580)、秀吉が播磨を平定した段階で、
置塩城は廃城を迎えた。

標高370mの城山の山頂部には現在でも4ha以上にわたり、曲輪・城道・石垣などの遺構が残っており、
播磨で最大規模を誇る。 平成13年〜17年に発掘調査が行われた。 この中で、伝二の丸跡から山城と
しては大変珍しい庭園遺構と、それに面して大規模な建物跡が存在していたことが確認された。このことは、
戦乱の世の中で軍事的に使用されることが中心だった山城では異例であり、改めて城主赤松氏の室町
時代から受け継ぐ権威、文化レベルの高さが注目されることとなった。 また城内で最も高い位置にある
伝本丸跡からは堅牢な建物が発見されており、戦闘に備えて構築されたことも判った。」 

                                                  姫路市のHPより


  赤松氏城跡  置塩城跡

国指定史跡。 室町時代に播磨守護職であった赤松氏の居城。 標高370mの城山の山頂部に位置する
播磨最大規模の山城跡である。 遺構は東側の城内最高所にあたる伝本丸跡と、そこから鞍部を隔てた
西側の伝二の丸跡を中心に広がり、曲輪・通路・石垣・土塁などが残っている。

平成13〜17年度に夢前町教育委員会が発掘調査を行った結果、伝二の丸跡で庭園とそれに面する大型の
礎石建物、伝二の丸跡の北側で曲輪群を貫く通路の遺構などが確認された。 これらは格式を意識して
構築されたものであるが、この意識は置塩城跡のプランを特徴付けるものとなっている。
また、伝本丸跡には最終段階で天守的な性格をもつと考えられる?列建物を構築しており、城郭使用の
末期段階において伝本丸跡を中心とした曲輪は、この城全体の「詰城」的機能を持っていたと考えられる。
なお、発掘調査を通して出土した生活遺物は、土師器皿、中国製磁器碗・皿、備前焼甕、擂鉢、瓦質土器
火鉢など1万点以上に及ぶ。

一般的に置塩城は文明元年(1469)に赤松政則が築城したと伝わるが、この城が居城化し大規模に改修
されるのは16世紀中葉以降で、赤松政村(晴政)・義祐・則房が城主であった時期に相当する。天正八年
(1580)羽柴秀吉による城破令が出され廃城となった。  

                                    平成20年 8月
   姫路市教育委員会

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感想

 @ 登りやすい山城でした。 全18丁あり、一丁毎に石碑が建って励みになった。
 A 山頂の城跡の広大さに驚いた。 小学校のグラウンドが幾面もとれるほど広い。
 B 冬季に登ったので、落葉樹は葉を落としており、山頂からの眺望は素晴しかった。 ただガスが
    かかっており、瀬戸の島々までは見えなかった。


登る前、説明文をよく理解せぬまま急いで登り始めた。 これが結果的に失敗を招いてしまった。 
城内は、ブルーシートが見え発掘調査の様子が手に取るように判る。 庭園遺構の残るのは、たしか西側
曲輪跡だったな・・・(これが間違い)。

西側と名の付く曲輪でブルーシートの残るところを探し歩く、・・・見当たらない・・・、それにしても石がゴロゴロ
している城跡だな・・・。 

大石垣は一段目の石が外に飛び出している、原石を加工せずそのまま積んでいる、裏込め石が少ない、高さも
3m程度、などとごく初期の段階の石積と確認した。 おっと、庭園遺構はどこだ? どこにも見当たらない!
どうせ埋め戻したろうから、このブルーシートの下に眠るのか・・・。それにしても、庭園に庭石が無いのだろうか。
 小さな坪庭みたいなものだったのだろうか。 諦めて他の曲輪を廻る。

三の丸の広さは何だ! 山頂にこんな広大な場所があったのか!ここだけで野球場が出来るぞ!ここにも石と
土塁がごろごろしているな、礎石建物がこんなにあったのかな・・・

二の丸とのことだがここも広いなぁ、テニスコートならこのフロアだけで4面は出来るな。 おっ、この虎口は虎口
らしい虎口だな、写真を撮っておこう。 おや? 土塁が縦横に走り他の曲輪とはちょっと違うな、幾枚かカメラに
収めておこう。

さて、主曲輪、いや本丸に向かおう。 これは何だ?瓦じゃないのか?こんな虎口に近い場所に瓦葺きの建物?
この広さなら持仏堂か?寺なら寺号くらい伝わっているだろうし・・・。本丸の標識だな! この高まりは何だ? 
櫓跡ってこのことか?磚で基礎を強化した櫓ってのはこのことか!

いやあ、お城って ほんとに面白いですね。

☆所在地 兵庫県姫路市夢前町宮沖・糸田


   注・・・磚(せん)
        瓦製の建築材で形状は平瓦に近いものですが、平瓦のように反りがなく、方形の板状をしています。
        用途は今のタイルとほぼ同じで、古来以来、寺院建築などを中心に用いられ始めるが、16世紀頃
        からは屋敷の蔵などにも用いられるようになった、と記されています。
 

 

 

 

 

 

 

 
                                     2010.1.11 撮影