大和 澤城 と 米山城     Topへ

前回は雪の残る冬の日に登城したが、今回は暖かな春の日を浴びた日であった。 綺麗に
散髪された城跡を見せてもらい、前回来た時地元の方から 『今度来るときにゃ、草刈りして
おくから』 とのありがたい言葉を思い出し、本当に感謝いたします。

しかも今回は、画像にあるごとく副曲輪(出の曲輪)を発掘されていた模様で、もし日曜日で
なかったら、発掘の様子がわかったものを・・・と多少惜しい気持ちが残りました。 しかし、
後ほど柳沢氏から報告が市の方にあるでしょうから、その後読ませてもらえることを期待して、
後の楽しみと致しましょう。

主曲輪は笹に覆われており、全く見分けることが出来ない。主曲輪下部、恐らく前回発掘された
箇所と思われる箇所は、何も生えず裸の状態であった。 この曲輪へは、少し削られたように
見える場所があるが、横から入る虎口であろうか、または発掘調査した土砂を運ぶ道だった
のか、判然としない部分がみえた。 幾段かの段差のある削平地の、どれにも似たような
パーツがあるのなら虎口と判断するが、どうも笹が多くよくわからない。この時代の城跡は、
出来るだけ城内を見えないようにしていたのだから、簡単に虎口の場所を判断できるようには
していないのは当然だ。しばし主曲輪の様子を呆然と佇んだ後、副曲輪(出の曲輪)に向かう。

副曲輪に来て驚いた。綺麗に草が刈り払われている。先端の土塁囲みの部分には発掘調査中
なのだろう、縦横にトレンチを掘り、ブルーシートがかけられて中を見られないようにしてあった。
何か見つかったのかな?瀬戸の天目?京の平皿?一度埋設してある状態を見て見たいものだ。

先端の土塁囲みのその先は、高さ7mほどの切岸と、副曲輪の帯曲輪が堀切になって巡っていた。
その先端には更に2本の堀切が城域を守っている。

澤城はこの程度にして、近くにあるという米山城に向かう。

伊那佐山の方面に行く途中で米山城跡がある。

急坂を登った頂上には、見張り台状の出っ張りがあり、この部分で敵を先ずくい止めたのだろう。
更に100mほど歩むと直径50m、深さ3m程の窪地の西側一辺に一部土塁と堀切を備えた米山城を
見ることが出来る。 主曲輪は東西10m南北20mの長方形で、南東に虎口がある。曲輪の北側は
不明瞭ながら切岸と堀切があり、更にその先端にも削平地がある。その先端は城域では無い様だ。

この窪地も恐らく城域であったし、ダリヨやジュストが、フロイスがこの窪地に建てられた教会に
祈ったのではないだろうか。
私の勝手な想像であるが、日本史に書かれたものをそのまま当てはめると此処しかないようだ。

    ☆再訪 澤城
 

 

 

 
                                        2008.4.6 撮影

    ☆米山城
 

  2008.4.6 撮影