末森城               Topへ

「天正12年(1584)、富山にいた佐々成政は加賀と能登を分断し前田氏の勢力を削ぐ為、要衝の
地にある末森城を攻略しようとした。

9月8日夜、越中木船城を出発、砺波の宮島、沢川を経て牛首に到着。9月9日、先陣が吾妻野の
天神山に到着。午後2時坪井山に本隊が到着し本陣を構える。

9月10日朝、佐々軍は攻撃を開始。金沢城にいた利家が知ったのは午後2時。利家が金沢城を
出発したのが午後4時。同日午後9時には津幡城に入り、利長ら後続を待って11時出発。

9月11日午前4時、末森城西方の鯨骨山に到着。数刻の戦いの後、形勢不利と見た佐々軍は隊を
整えて退却した。

佐々軍は、河北郡の横山を通り、津幡町の吉倉山から鳥越峠を経て倶利伽羅城へと引き上げた。
云々」                                 現地案内板より(要旨)


現地を訪れたのは夏。夏草が生い茂り、またNHK大河ドラマの影響からか観光客用の施設設置の
ため、遺構が改変されており余り見るべきものは無かった。もとより期待するほうが可笑しいのかも
知れない。

☆所在地 石川県羽咋郡宝達志水町竹生野

 

 

  2007.8.17 撮影