周山城         Topへ

    「京北十景の一つに数えられ、城山として親しまれている山城の遺構は、天正年間(1570年代)
    丹波平定を命ぜられた明智光秀が築城した、周山城の跡と伝えられています。若狭より京都への
    押さえを目的とした城で、山頂部は主郭を中心に東西南北の尾根上に曲輪を造成。主郭東側には
    低い石塁で囲い込まれた通路があり、石塁上に土塀を巡らせていたことが考えられる。また虎口や
    井戸の跡、建物の存在を示す瓦片は織豊期に使用されたことを示しており、 現存する総石垣の
    遺構は壮大です。 また、西尾根部分には土の城跡があり、支城として存在していた。 

    天正9年8月、光秀は津田宗及と十五夜の月見を楽しみ、本能寺の変()後の12年2月には豊臣
    秀吉が赴いている。」
                                現地案内板より

 現地案内板には、西側の遺構を支城と捉えているが、支城にしては近すぎることと、規模が大きいことから、
 征討場所は分からないまでも兵の駐屯地ではないかと考えられているようだ。

 もっとも小生は行った事が無いので、この(小姓丸)を含めて、再度訪問しようと考えている。

 この城は、以前から知る人ぞ知るで、城郭関係者には良く知られていたようだが、最近勉強し始めた
 小生が知ったのはつい最近であった。 
 京都に、こんな北方にこれほど壮大な石垣作りの城があったとは・・・・・。 
 これ以後、しばしば光秀の築城した城にお目にかかることになった。 それを見る度に、光秀は教養のある
 部将だったのを感じられる。

☆所在地 京都市右京区京北周山町

 

 

 

 

 

 

 2009.8.14 撮影