手取城 Topへ
「南北朝期に、北朝方の玉置氏が川上兵衛則秋を攻略しこの地に築いた。
和歌山県下で城跡の規模や原型保存などこれ以上のものはない。」と城郭大系に書かれていた。
城郭大系には、二の丸跡からは瓦片が多数出土され、天守台と呼ばれる高所からは礎石がゴロゴロ
しており、水の手の辺には石垣もあるように書かれている。
であれば、中井均氏の言われる「石垣・礎石・瓦」の三点セットを持った城が信長以前よりここ紀州
中部に存在していたことになる。均チャン嘘ついたかな?(もちろん、秀吉により攻略されたのだから、
もし秀吉方が攻略後ここを利用していれば、この指摘は当らないが・・・・)失礼!
山頂に主郭を配置しその一段下に寺院を設け更に通路化した土塁を持つ東の丸。主郭の西側は
堀切をはさんで西の丸。西の丸の中心には一段高く「のろし台」と名付けられた見張台。空掘を
挟んで削平された郭。東の丸と西の丸との間の堀切は水の手となる。
相当以前、20年ほど前ここを訪れた時は、まだ下草が刈られていたようだったが、今回は季節の
関係もあるのか全くその気配が感じられず、残念だった。
しかし、相変わらずここからの眺望は素晴らしく御坊市内をはじめ、日高平野の殆どを見下ろし、
これから向かう亀山城も眺めることが出来た。残念ながら雑草が多く、今回は水の手の「風呂谷」
周りの石垣は画像に撮れなかったが、礎石などは撮れることが出来たのは収穫であった。
☆所在地 和歌山県日高郡日高川町和佐




05.09.18 撮影