宇陀松山城              Topへ

中世宇陀を代表する国人領主のひとり、秋山氏の本城として南北朝期に築かれたようだ。 
沢城と同じく伊勢国主北畠氏の先手となり、南朝方として活躍していたのだろうが、天正13年
(1585)豊臣秀長の家臣である伊藤掃部頭義之が宇陀郷へ入封、その居城となる。
以後、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種ら秀吉、秀長配下の大名の知行を受け、関が原の戦いの
後福島孝治が封じられる。この間大規模な改修が加えられるも、元和元年(1615)福島孝治が
改易されるに伴い破棄された。

☆所在地 奈良県宇陀市大宇陀区(旧 宇陀郡大宇陀町春日)

 

 

 

 

 

 

 
                                    2008.2.11 撮影