和知城(稲葉城) Topへ
城跡は、半島型に木曽川に突出し、東南は木曽川の断崖と西側は石川の渓流で天然の要害を形成している。
天正十八年(1590)八月、美濃国安八郡西保城の城主稲葉右近方通が、この地に着任し築城、和知城(稲葉城)
と称した。
その後右近方通は、関ヶ原の合戦に東軍に所属して功をたて、和知・野上・上牧野・細目・久田見の采地
四千四百三十一石を賜り、元和三年(1617)尾張藩主義通公に所属し、久々利村領主千村氏と同席同列と
なる。後に子孫は繁栄し、主計和通(仙斎)、右近正通、右近良通と城主を相続したが、良通が後を継ぐ子が無い
内に他界したため、幕府は右近知通の外孫の右平次屋通に相続を命じ、領地を全て相続させた。
しかし右平次屋通も跡継ぎの子がいないうちに延宝四年(1676)他界し、五代(86年)に亘り繁栄した和知城の
領地はことごとく尾張藩に帰し、遂にお家断絶で廃城となり暫時荒廃して今はその当時の様子を伺い知れないが、
右近方通の碑および井戸、内外濠等の跡を僅かに残して在りし昔を思い出させてくれるだけである。
城址に残る説明版より
☆所在地 岐阜県加茂郡八百津町野上字大門西



2008.9.7 撮影