八辻城(桃俣城)             Topへ

    八辻城は、在地土豪である桃俣三田氏の居城で、永禄年間(1558〜69)に北畠具教により落城との
    伝承をもつ。山上に主郭と思われる広い平坦地に至る。 主郭はこの平坦地と東側に一段上がった
    やや狭い平坦地により構成される。主郭の南側を更に登ると、曲輪と考えられる平坦地や馬隠しとの
    伝承をもつ窪地がある。また、馬隠しの西側を尾根伝いに行くと、山頂部(鞍ヶ坂)に物見台(あるいは
    狼煙台)とみられる平坦地がある。ここからは眼下に集落や街道が一望できる。東側には堀切が残り、
    腰曲輪らしき平坦地が取巻く。北側の急なスロープが入口であると思われる。主郭の規模から見て
    居住性のある山城と考えられ、麓からの標高差のある山上に築かれていることから、街道の交通を
    監視し周辺の他の山城との連絡網の一端を担っていたと推定される。

                                     曽爾村
                                       県立橿原考古学研究所

☆所在地 奈良県宇陀郡曽爾村掛字八辻

 

 
                                           
  2008.9.21 撮影