与板城跡 (直江城跡) Topへ
「与板城は、上杉景勝の執政として活躍した直江山城守兼続の居城である。もともと直江氏は、本与板城を
本拠としていましたが、信綱の代に与板城に拠点を移したと考えられています。
城は城山の頂上に(104m)実城と、二の郭、三の郭を一列に配置し、夫々の曲輪を深い堀切で区画している。
実城の東側にも大きな郭が配置され、そこに兼続の妻・お船が水を汲みお茶をたてたといわれるお船清水が
あります。
現在、実城跡には城山稲荷神社があり、景勝の会津移封に伴い、兼続が与板の地を離れる際に家臣が植樹
したと伝わる「城の一本杉」が今もなお息づいています。
長岡市観光HPより」
私たちがこの地を訪れたのは、大河ドラマによる喧騒も収まっただろうと思われる2010年真夏のことであった。
案の定城跡を歩く方は少ししか見えなかった。
私達は「与板城登城口」と看板のある「八坂神社」から登ったのだが、本来の大手と考えられるのはより北方の
「稲荷神社口」ではないだろうか。この途上には堀切があり、防御をより固めていたから。
幾つかの曲輪跡や「お船清水」を超えると主曲輪の一段下の曲輪に到着しそこで「稲荷神社口」からの登城口に
接続する。主曲輪にある神社の北側には土塁が約30m残っており、「城の一本杉」も割れ裂けた痛々しい姿で
残っていた。
この城は主曲輪にしろ二の曲輪にしろ、全ての曲輪は堀切で区切られており、堀切と切岸が防御の主体の印象を
受けた。他のHPには畝状堀切があると書かれていましたが、小生はそれを見ていない。また奥にある「千人溜り」は
周囲を囲まれた削平地のようでしたが、囲んでいたのが自然地形の印象を受け、城域に含めるべきなのか、その
先の小さな削平地(のろし山)が自然地形の印象を受けたため、この地までは城域に含めないほうが良いと判断して
おります。
☆所在地 新潟県長岡市与板



2010.8.1 撮影