東日本大震災 被災地報告:仙台後半五日目 平成23年4月11日





H23.4.11 22:06  Yamar 記

※以下、仙台滞在中に友人知人へメール送信した内容です。

BCCで お送りしてます。

宮城は午後から雨が降り始め、気温も10°Cと寒く、おまけに夕方からは断続的に地震が起 きています。今や周りは余震に動じません。頼もしい半面、大事にならないことを祈るばかりです。

本日は気仙沼へ行きました。元気いっぱいのス タッフが制限50キロの高速を120キロで 飛ばして向かいました。高速は震災以後、応急措置がされているだけで、段差が沢山あります。ペーパードライバーの小生は、少し焦りました。

向かった先は、気仙沼高校の避難所です。昨日 搬入していた大量の布団の一部をトラック2台で60組 み分届けました。ここは400人の被災者がいる大所帯です。

大概、災害時の避難所へは、毛布を真っ先に届 けることはメディアなどでも知られています。しかしながら、避難所は床ですから、多くの人はビニールシートや毛布を敷いて寝ます。敷き布団やマットの希望 がどうしても出てきます。避難所の会長さんからは『今までで最高の品物』とまで云って下さいました。

気仙沼方面は、ここ数日になって足を運ぶよう になり、少しずつ避難所の状況が分かってきたところでした。そこで分かったのは、避難所の環境が良くないということでした。仕切りもなく、ぎゅうぎゅう詰 めで、子供達に覇気がないなどの報告がありました。

物資面では、布団類に加え食材の希望がありま した。この避難所では、煮炊きを自衛隊が担当しているそうです。自衛隊にお任せすると、どうしても同じ献立になってしまうので、外部から提供される食材を 自衛隊に渡して料理してもらうそうです。

帰りは気仙沼の海岸沿いである東浜街道を通り ました。ここの街道はJRの気仙沼線と並行しています。しかし、線路は捻じ曲がったり、道路と並行 しているはずが90度に横たわっていたり、踏切は残骸が残っているだけです。津波被害に遭った多く の家屋は、1階が柱だけ残って筒抜けで、2階 がそのまま残っていました。

途中、震災の影響で通行止めとなっており、迂 回路を進みましたが、丘を挟んで海岸が見えなくなるところであるにもかかわらず、津波被害が見られました。何故だろうと思っていたら、津谷川という小さな 川を逆流して氾濫したのが原因のようでした。

ご存じの通り、先月11日の1446に 地震が起きました。丁度、気仙沼の南部、本吉町を走っているところでした。本吉町では1分ほどサイ レンが鳴りました。

明日は小生滞在の最終日です。夜のミーティン グで『明日の夜帰ります』と云ったら皆さんから『で、いつ移住してくるの?』と云い返されてしまいました。嬉しいような困ったような。。。。もちろん長期 的に関わっていくつもりでおります。

今日の一枚:本日布団を運んだ我々のトラッ ク。鳥取のCOOPから提供された車で、通称『りす号』。デザインにりすが描かれてます。連日被災 地へ行くので泥だらけです。

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