東日本大震災 被災地報告:仙台後半六日目 平成23年4月12日





H23.4.13 am 0:42  Yamar 記

※以下、仙台滞在中に友人知人へメール送信した内容です。

BCCで お送りしております。
あっという間に今滞在最終日を迎えました。

 い きなり余談ですが『室』姓だけが浸透したの は、今回が初めてでした。それでも旧姓を知っている人が二人いたことも驚きです。

本日は昨日行った気仙沼へ再度布団を運ぶ予定 でした。朝イチで布団の積み荷作業をしていたら、トラック3台のつもりが、2台で足りてしまい、じゃぁ室さんは待機ということになりました。

するとヘリ関係の人から、

『今日帰るんだよね!?川越行きのヘリに一席 空きがあるけど乗ってく?4時ごろ出るけど』

との提案があり、楽しみが増えました。当初は 前週同様、2355仙台発の夜行バスの予 定でした。バス代\3,200がパーになってもヘリにタダで乗れるならこれほどラッキーなことはあ りません。ただ強風なのが心配でした。

昼食後に、急遽仙台空港近くの倉庫へモランボ ン提供の調味料物資を2tトラックいっぱい積みに行きました。

積み荷の最中、福島・茨城の地震が起きると倉 庫側のリーダーが、『作業やめぇ!外でてぇ!』と大声で指示して中断しました。この時、リーダーの隣にいた人が、ボソっと、

『頼むがら津波は来ないでぐれよなぁ』

って、穏やかじゃありません。

この地域は仙台空港も含め、311日に津波被害のあった場所で、未だ周囲には瓦 礫や潰れた車両などが横たわっています。彼の発言は、先週夜中の地震並みに焦りました。

無事積み荷が終わり、15時半ごろ事務所に戻ってきたら、

『室さん、惜しかったねぇ。ヘリ行っちゃった よ。ま、そういう運命なんだな』

という顛末でした。地震で中断してなきゃ乗れ たのかしら?

夜のミーティングが終わった後、スタッフの一 人に気になっていたことを伝えました。それは、先週月曜日に小生が牡鹿半島の避難所を廻って以来、スタッフは一度も足を運んでいないので、早いうちに様子 を見に行ったほうがいいのではないかと申し上げました。すると、牡鹿の避難所を初期に廻っていたスタッフも同じことを懸念されていたそうで、今週中に廻る こととなりました。

小生はいったん今日で帰りますが、スタッフは 変わらずこれからも日々変化する被災地を廻ることと思います。

ここの事務所では先週末から、ホワイトボード へ各人の名前入りマグネットが使用されてます。だれそれが、何処へ、どの車で廻るかなどを決める際に、この名前入りマグネットがあると便利だからです。そ こに何故か小生の名前入りマグネットも作られていて、光栄な半面、長期的に貢献できないことが申し訳なくもあります。

皆さんは『いつでも待ってるから』と云って下 さり、またお手伝いしたいと思っています。東京にいる間も自分の出来ることを見つけて実行しようと思っております。

例えば、一日\100の寄付を毎日続けたらどうなるか。ひと月で\3,0001年で\36,0003年なら\100,000を超しますから、貧乏人とし てはそれなりの金額かなぁとも思ったりします。

現地に行かずとも東京に避難している方の支援 も出来ない訳ではありません。まだまだ、色々な方法が考えられそうです。

被 災地へ足を踏み入れたからには、細く長く関 わっていかねばならないと考えております。

2週 間弱の報告は、今回でいったん終わりますが、また仙台に来た時や、来なくても報告があればしようと思います。

今回はアルコールを入れる人が周りにおりまし たが、禁酒できることを自己証明したいがために一滴も飲みませんでした。おかげで禁酒一カ月を更新中です。それでも酒が呼んでいる気がしています。なかな か禁断症状が抜けません。

また、サバイバル環境に弱いことも痛感してま す。さらにはペーパードライバーで非力と来ると、貢献しているんだかどうだか。こんなに腕の筋トレ(荷物の積み荷)をやるとは思いませんでした。もう少し タフな人間にならないといけませんね。

今日の一枚:オレゴンから仙台へ応援メッセー ジが届いたので、ちゃんと事務所に掲示してあるという証明写真を撮っているところです。実はこのメッセージを壁に掲示する作業が、初日の小生の初仕事だっ たのです。それもあって、今回大変お世話になった理事長さんとのツーショット写真をオレゴンへ送るのだそうです。

連日読んで下さりありがとうございます。

ただいま夜行バスの中です。

少し寝ようと思います。


仙台後半五日目 4月11日へ戻る


その他の文章一覧へ

トップページへ戻る