BCCで
お送りしております。
14日
も物資搬送に出かけてきました。
仙台市議からの要請で、南三陸町の高台にある
志津川高校へ生鮮食品を届けました。到着時、神奈川県海老名から来たイスラム協会によるカレーの炊き出しがありました。中東の顔立ちをした人たちが大勢い
ました。
南三陸町は初めて行ったのですが、瓦礫が急
ピッチで除去されているようで、何もない空き地が方々で見受けられました。今後は各地でまっさらの何もない光景が増えていくと思います。
次に、前日行った牡鹿半島へ向かいました。
先月小生は一度しか訪れてませんが、『月の浦
(支倉常長が欧州出発したところ)』の避難所へ行きました。ここには避難所入り口に団地にあるような簡易ポストがこしらえてあります。そのポスト表示が各
家の屋号なのです。ヤマサ醤油のマークは、確か屋根の下にヤの字が付いていたのではと思いますが、そんなイメージのものがずらりと並んでいるのです。
その後、前日訪れた、誤った妬みからか物資の
届いていない『狐崎浜』へ行きました。食糧、オムツ、衣類、雑貨を届けたところ、大変喜んでもらえました。狐崎浜は半島の中でさらに半島を形成するよう
に、少し飛び出た位置にあります。しかし、津波被害は昔からないと云われ続けているそうで、今回も浸水だけで大きな家の損壊はほとんどなかったようです。
自然現象とは不思議なものです。
先月、牡鹿半島を訪れた際、関電工などの工事
員が急ピッチで電柱を建てていたました。今回訪れてみると、確かに海岸沿いの電柱や電線が新品のようでした。実際、牡鹿は電気がほぼ復旧しております。
一方、牡鹿半島の道路は、至る所に亀裂や陥
没、凸凹の跡、落石、崖崩れがあります。それもそのはず、牡鹿は震源地に最も近く、5.3メートル
地面が移動し、1メートルも地盤沈下しました。海岸沿いの道路は、現在ほぼゼロメートル地帯で、少
し波が高いと水が入ってきます。
地震学はよく分かりませんが、牡鹿にいた人は
地震の時、瞬間的に5メートル移動して1メー
トル降りたということなのでしょうか。分かる方いましたらご教授下さいまし。
15日(日)はNPOがお休みのため、小生は
個人的に宮城野区のボランティアセンターへ行ってこようと思います。