リレー小説

リレー小説の間を個別に作りました。
みなさんどしどし参加しちゃって下さい!

続きを書く

『冬』 第一部

【登場人物】
善:主人公
義男:善の父
アグル:善の腹違いの妹
恵:善の知人
インド風の男:アグルの元同僚
--------------------------------------------------------
善(主人公・男)はその日、肌寒さとともに目を覚ました。

善:「ん、今何時だ?」

ベッドの下に落ちている毛布を確認すると同時に時計へと目を移す。時計の針は、まだ朝の7時を過ぎたところを指していた。
善:「そうだ、今日はあそこへ行く日だったな…」
眠気と戦いながら支度を済ませ、おもむろに部屋を出る。
部屋を出た善に待っていたものは、朝の刺すような冷気と… 

まるで毛を刈り取られた羊のように主要パーツを身ぐるみ外された愛車の無残な姿だった。
善はそれが自分のバイクであることにしばらく気づかなかった。
そして気づいた。
だから気づかない振りをしてそっとドアを閉め、靴を持って窓から出ることにした。
ドアにも窓にも鍵をかけずに出た。バイクが犯られた以上、善の安アパートに守るものなど
もはやなかった。
2月2日。愛車飛ばして関空に行く予定だった。行き先はクアラルンプール・・・・・

クアラルンプール…
常夏の国マレーシアにあるその都市は善にとって特別の地であった。
善は現在名古屋にある大学に通う為下宿暮らしをしているが、幼少時代は今は亡き父親の
仕事の都合でクアラルンプールで過ごしていたのだ。
思い出の場所ではあるが、父親が亡くなってからはクアラルンプールには行っていない…
いや、正確に言えば行く事を禁じられていた。

「クアラルンプールか…」
善はそっとつぶやいた。彼が足を踏み入れずにいた間に、
あの思い出の場所はいったいどうかわっているのだろうか?
あのころと同じように、彼を優しく受け入れてくれるのだろうか?
彼の胸は苛立たしさにも似た焦燥の気持ちと、形容できない不安感に押しつぶされそうになっていた。
しかしもはや彼には失うものがない。
今こそクアラルンプールへ行かねばならない気が彼にはしていた。
はやる気持ちを抑えながら、彼は走った。靴を握り締めたまま、父親の事を思い返しながら。

素足の善は関西国際空港へと走り、到着した時にはもう冬の太陽は真上に到達していた。
予約していた便にはぎりぎり間に合ったが、むしろ善の足裏の方が限界に近かった。
空港の柔らかなじゅうたんの踏み心地が彼の焦燥と不安を和らげる。

空港の身体検査で裸足であることを詰問されるも、逆ギレ。
善:「一体世界でどれだけの人間が1日を裸足で過ごしてると思ってるんだ!!」
その凄みに検査員は圧倒され、機内では既に彼の周りの人間も数名が素足になっていた。
それくらい彼には人を惹き付ける”何か”を持っていた。
そう、その”何か”がこれからのクアラルンプールでの暑い冬を劇的なものへと変えて
いくとも知らずに…

善が持っていたのは一万九千円の格安航空券だった。安くさえあれば良かった、どれほど満員の機内に詰め込まれても構わなかった。

機内はガラガラだった。にもかかわらず恵は当日チケットだったせいか善とは随分離れた後部の席に当てられていて、善の隣にはインド人風の男性が坐った。こんにちは、と彼は慣れた感じの日本語で善に挨拶し、すぐに機内食メニューを取り出して見入り始めた。
窓際に坐っていた善は片肘をついてマレーシア航空225便の貧相な主翼に目をやっていた。それに下がったエンジンは長旅に備えて試運転していたが、ガタガタと振動しているのが窓からでも良く見えた。

本当に飛ぶのか?

ガタガタと音を立てて滑走路まで進んだ225便はジェット旅客機のエンジンのあの轟音とはおよそ程遠い低いうなり声を立てながら走り出した。
滑走路はいくらあっても足りない気が善にはしていた。格安とはいえ、ちょっと破格すぎたような気もしていた。後方の恵を振り返るとシートベルトを締めた客室乗務員にしきりにオレンジジュースを頼もうとしている。

まだ浮かない。ひょっとしてこのままクアラルンプールまで滑走路が続いているんじゃないかと思い始めた時、突如となりの男が「Not free!!!」と叫び、ふわりと機体が浮いた。

インド人風の男は機内食メニューの酒が有料ということを知って1時間ほどむせび泣いていた。

善はなんとか飛行機が飛び始めた事に安堵したが、泣き続ける隣の男に少々戸惑っていた。おいおい、こいつやべーよ。関わりあいになるのはよそう…ちらりと男を見やると、トイレにでも行ったのだろうか、驚いた事に通路に恵が立っていて、善があっと思う間もなくこう切り出した。
「どうかなさいました?何かあればすぐ隣の男に申し付けてくださいね、親切にしてくれるはずですから。」
「何お前勝手なこと言って…」
善は動転してしゃべり始めたが、恵にきっとにらまれて口をつぐんだ。恵はインド人の男と親しげに握手まで交わしている。なんだこれは。一体どういう展開だ?
「じゃあおじさん、失礼します。善、あとは頼んだわよ。」
勝手な事を言って恵は去っていった。いつもこうなのだ。恵は幼い頃から正義感だけは強くて、泣いている人を放って置けない。そのくせ、その後の処置はいつも自分にやらせるのだ。横目で隣を見ると、潤んだ瞳で男はこっちを見ていた。

それは運命だったのかもしれない。潤んだ瞳のインド風の裸足の男の話は唐突で衝撃的だった。

機内食をご馳走することでニコニコ顔のインド男は、善がクアラルンプールへ向かう理由を聞いた。なぜか今日の善の口はオロナインのように滑らかに動いた。どれくらい語っただろうか。善が話し疲れた頃にはすっかりお互いに打ち解け、不思議に惹かれあっていた。善がお互い惹かれ合う理由を認識した時、運命は轟々とした音を鳴らしながら動き始めた。

彼の話をまとめるとこうだ。善の父である義男は仕事でクアラルンプールで働いていた時、ある女性と関係を持った。もちろんそのことは家族には秘密である。言える訳がない。短い間であったが彼らは愛し合っていたようだ。しかしそれは儚い愛だということも分かっていた。必然の別れの時が訪れ、義男と善ら家族がクアラルンプールを跡にした数ヵ月後、彼女の胎内には新しい生命が芽を出していたのだ。

なぜこの事実をインド男が知っていたかというと、彼と善の腹違いの妹・アグルは仲の良い同僚であったらしい。アグルから義男という父の存在を知らない自分の悲しみを聞かされていた。しかしアグルは会社で問題に巻き込まれ退社し、今は所在がつかめないという。

この出会いは運命に違いない、そう善は確信していた。まだ見ぬ妹・アグルがクアラルンプール近辺にいる。そして善の知らない父の姿を知っている。彼女が今回の旅のキーパーソンだ。今にも折れそうな機体の翼を窓から確認しながら、善はそう考えていた。

そして飛行機はクアラルンプールへ翼を降ろす―――