外鎌山(292.5m) とがまやま
平成19年1月20日(土) 単独
 別名、「朝倉富士」「磯城富士」とも称される「故郷の富士」の一つ。
 初瀬谷の出口、盆地へ広がりを見せる地にある低山。麓は近鉄大阪線の朝倉駅となり住宅地が広がっている。奈良県内の「富士山」は大和富士こと額井岳
(宇陀市榛原)が有名。他に都祁富士の都介野岳(奈良市の旧都祁村)、伊賀富士の倶留尊山(曽爾村)がある。外鎌山(桜井市忍阪)は万葉集で「忍坂の山」・「小倉の山」「高円山」など呼ばれるほど歴史の深い場所。すぐ近くにピラミッド形の三輪山がある為、あまり富士という印象には遠い気がするけれど、朝倉富士として親しまれてきた。麓には舒明天皇陵や鏡女王の墓などもあり、周辺には古墳の多い地域でもある。朝倉富士という名称で十分に良いと思うのだが、たまにこの山を「大和富士」と間違って呼ぶサイトを目にして腹立たしい。以前にも写真の雑誌で高取町のY田Y雄と言うアマチュア写真家が、高見山を「大和富士」と一人勝手に呼んで「ふるさとの富士」に応募していた。自分の写真を使いたいだけの悪質な嘘である。このカメラマンは各賞で名前を見かけるので有名な人だが、写真の腕が確かでも常識を疑う。最近は各撮影地でマナーの悪いカメラマンが多く残念な気分だ。気軽に名称を間違ったまま使うのは混乱を招くと思われる。大和富士は宇陀の額井岳が正しい。余談だけれど、ある人に袴ヶ岳(榛原)を地元の人は大和富士とも呼ぶらしいですねと聞いた。初耳だったので驚いたがそれ以上は分からない。勘違いだろうか?何度も言うけれど大和富士は額井岳!これは譲れません。

 初登りをどこにしょうと悩み、天気も良くなさそうなので近くの低山をと考えた。wolfgangさんが本物の富士山を眺められたので、自分も縁起を担いで「富士」が良いと思った。大和富士や都祁富士を考えたが登ったことのない朝倉富士に行きたくなった。こういうガイドにも載っていない低山は冬場に限る。読み方すら分からなかった外鎌山を目指して朝倉台へ車を走らせた。目印は配水池。


朝倉台の配水池へ続く道へ

予想外に立派な案内板があった。
展望地から登ることにしよう。

配水池の門の横に黄色い矢印が…。

配水池前からの展望。右に三輪山、中央に古墳群、遙か奥に二上山。(下手な継ぎ接ぎパノラマ)

霞む耳成山と二上山
絵になるねぇ〜!

赤テープを頼りに進む

結構、人が歩いているような道

最初の案内はここで合流するのだろう

岩の多いところを少し登る

あっけなく「富士」の山頂に到着
 最初、この山を調べたときに登山道が整備されていない印象を受けた。それで藪こぎや倒木の道を覚悟していけれど、歩きやすい道であった。三等からの眺めも良い。帰りは別の方へ降りることにする。

三角点。変身する程もなく・・・。

信仰の山なのかな?

「やまとマンポの会」発音しにくい。

思っていたより良い山だね。

天香具山・畝傍山・葛城山
霞が無粋な街を隠してくれる。

赤テープ等を頼りに反対側へ下山

思っていたより手前に下山する。

周辺は歴史散策に適している。

集落の神社から山を眺める。
 外鎌山の西南麓に造られたれた古墳が舒明天皇押坂内陵。二段築成の円形または八角形の墳丘の前面に、裾が拡がる三段に築いた方形段をもつという。近くに鏡女王の墓、その上方に大伴皇女の墓があり、どちらも円墳と思われる。万葉歌人の鏡女王は額田王の姉で天智天皇の妃だったが後に中臣鎌子(藤原鎌足)の妻となる。外鎌山の「鎌」ってもしかして鎌足に関係しているのかな?
 古代のことばかり関係してそうな山だけれど南北朝の時代にも城として使われているらしい。