| 別名、「都介野富士」とも称される「ふるさとの富士」。 余談ながら奈良県には他に大和富士(額井岳)、朝倉富士(外鎌山)がある。本に依れば曽爾の倶留尊山を「伊賀富士」と記すこともあるとか・・・。伊賀富士は「尼ヶ岳」だよね。 都介野富士のあるこの地域は奈良市に編入合併されるまで都祁村と表記されてきた。「都介」も「都祁」も同じ「ツゲ」であり、古代の大和朝廷による統一以前より「ツゲ」と呼ばれて独自の文化圏を形成されてきた所である。この古代闘鶏国を支配していたのが闘鶏国造で、その墓とされる三陵墓古墳群が村の中心部に整備されている。古墳周辺から辺りを見回してみると、北東には野々上岳の二つの峰が盛り上がっている。山が御神体の三輪山のような聖地。そして古墳の南方向には小川光三氏が「集落背後に盛り上がる柏峯と云う丘も御神体の山であり、それを物語る古代信仰の地の神を祀る神社や盤座がある。都介野岳の形は、中国の圓丘・方丘思想から見て圓丘、つまり天の丸い形を表すのでは」と示唆した地がある。 都祁に来れば古代の謎を秘めた地域のシンボル的な山として都介野岳がよく目立っている。都祁の里は大和高原に位置し平地でも海抜の高いところである。だから標高631mと言っても平野部で約500mの高さの為、かなり簡単に登れる低山。 ▼日本書紀は「闘鶏」と書いてツゲと読ませている。「都祁」は呉音で「ツゲ」と読むが、漢音では「トキ」である。「トキ」は古代朝鮮語で「日の出」を意味するとも言われる。都介野岳の「都介野」は、「都祁野」の意か?ただ、都介野岳は村落の中心部より南に位置するので、東の山という気がしない。もしかして奈良盆地から見て広く東を意味したのかも。しかしながら古代朝鮮との繋がりもハッキリしないので、これ以上想像しても答えが見つからない。何か歴史の謎を秘めている事は確かだと思う。 |
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![]() 歩き始めてすぐに見える都介野岳 |
![]() 虫の繭、金色の玉 |
![]() 登山道の案内を左へ |
![]() 素朴な印象の茶畑 |
![]() 一部区間が舗装されている |
![]() 少し歩けば四つ辻に到着 |
![]() ガードレールが無粋 |
![]() 山頂手前に役行者を祀る祠 |
![]() 役行者の石像 |
| 祠にはロウソクが灯っていた。少し前に信心深い方がお参りに来られていたのだろう。以前(2003年)に登ったときも二人の女性が祈られていた。草の茂った暑い時期だったと記憶している。毎日参っておられるのだろうか?周辺は綺麗に掃除されていた。数年前に初めて登った時は山頂にあるという磐座が目的だった。お会いした女性に尋ねたところ、「以前は多くの岩があったが今では全て麓に降ろしている。昔は魂が山の上に登ると信仰されていた」というような内容を教わった。確かに山頂には磐座らしい岩石は見当たらなかった。その痕跡らしい場所はあったのだが・・・草が多くて何が何が分からずガッカリしたのを覚えている。だが、今回は目的が磐座でも展望でもなく、ただ散策することが楽しい。それに冬場は草が茂っていなくて広く感じる。 前回は蒸し暑かったからか登るのに時間がかかったような記憶があるが、二度目はかなり簡単に登れて拍子抜けした。まるで公園の中の丘のような山である。この山は今のような季節が適しているかも知れない。誰に会うこともなく楽しく散策できた。 十数年前にあった磐座の写真はこのサイトに載っています。→「ペンギン夫婦お山歩日記」さん● |
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![]() 山頂付近 |
![]() 四等三角点 |
![]() 案内はあるが展望は良くない |
![]() 木を伐採してくれれば・・・ |
![]() この辺りに磐座があったかも |
![]() 建物の左にも獣道的登山道あり |
![]() 四つ辻まで戻ると「おつかれさま」 |
![]() ツチグリは山のヒトデ!? |
![]() 下りは別の道を遠回り |
| 四つ辻を真っ直ぐに下山してみた。登ってきた道は右だったが、大した距離じゃなかったので遠回りしてみることにした。どこへ降りるのか楽しみである。簡易水道の施設を過ぎて平地に降りてみれば国津神社の付近であった。 神社までの道に多くの岩が並んでいる。何とも不自然な岩。もしかしたらこれが都介野岳山頂にあったという磐座なのではないだろうか?そう思えば磐座に見えてくるから不思議だ。 |
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![]() 歩きやすい道 |
![]() 簡易水道施設の横を過ぎていく |
![]() 集落が見えてきた |
![]() 振り返ると登山道の看板 |
![]() 道ばたにすごい岩群 |
![]() 都介野岳の磐座か!? |
![]() 国津神社 雨の字が印象的 |
![]() 美しい民家 |
![]() 三陵墓古墳でゴール |
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