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このコーナーでは、やんばる娘が住んでいるうちなー(沖縄)について、気になる話題を取り上げて、いろいろ考えていきたいと思います。皆さんもいろんな意見を掲示板のほうへどしどし書き込んで下さいね。一緒に熱く語り合いましょう!
| 2003年のうちなー語り | ||||
| 第1回 | 第2回 | なし | なし | なし |
| 2004年のうちなー語り | ||||
| 第3回 | まだ | まだ | まだ | |
第1回沖縄平和賞がアフガニスタンで20年近く医療支援をしている非政府組織「ペシャワール会」(本部・福岡市)の中村哲医師に決まり、そのインタビュー記事を読んだ。その中で中村医師が私達県民に向けたメッセージ「目先の景気対策に惑わされず、基地撤去で国際平和に貢献すべきだ」という言葉に強く惹かれ、このコーナーの第1回目のテーマに選んだ。
| この「沖縄平和賞」は、沖縄戦や米軍施政下の困難な時代を経て発展してきた沖縄が、アジア太平洋地域で活動する人物・団体を顕彰することで世界に平和を発信し、結果として沖縄の平和につながると意義付けられている。 |
| やんばる娘も、この「平和賞」が設けれらることで、沖縄から平和を発信する1つの手段かなーとただ表面上の名目だけ見て、いいことだと思っていた。しかし、この平和賞の性格付けをめぐって議論があり、批判などがあることを知らなかったので、この機会にもっと知るべきだと思った。 |
| @血この「平和賞」、誰が受賞するかという以上に、平和賞を授賞する側の県の姿勢に議論が集中している。米軍のアフガン空爆に対して県は、どういう姿勢を示したのか。米国が計画しているイラク攻撃に対して、どのような態度を取るのか。平和賞で問われるのは、結局のところ、授与する側の姿勢なのだ。 A社説より、「去年の9月11日以降、無限の正義を主張し、アフガン空爆を(数々の誤爆を含め)繰り返している米国の政策について、中村医師は国会で参考人として明確な異議をとなえ、与党議員から罵倒された。その際、沖縄県が中村氏への同感のコメントでも発していたなら、、まだ平和賞の授与に一貫した論理も認められる。しかし、米国の軍事行動を肯定する日本政府のもと、平和の視点からの異議申し立てを明らかにせずに、結局空爆を支持する立場となったまま、日々米軍にからむ事件や事故に苦しみ続ける沖縄県が、今ペシャワール会に平和賞を与えるというのは、ほとんどみっともないことではないだろうか。 B授賞により、世界に対して沖縄から発信した平和への思いが浸透していき、それが将来在米軍基地削減にもつながるフィールドバック効果を生む、という平和賞検討委員会の意見もあったが、いつまで待ったらそうなるというのだろう。もし、米国が今後イラクの空爆にでも踏み切ったなら、次回の平和賞は、例えば、湾岸戦争の劣化ウラン弾の被弾の後遺症で苦しむイラクの人々や奇形で生まれてくる子供達の医療を支援し、さらに新たな空爆の被害救済にもあたらずをえない団体に授与されるのだろうか。 |
| やんばる娘も、米国がテロ報復に踏み切ったとき、沖縄県は止めることはできなくても、反対意見なり何か違う行動を起こすかなと思っていた。戦争になれば、沖縄の米軍基地から戦闘機が飛び立ち、補給基地になりうる。実際、沖縄の基地も厳戒態勢意をひかれ、また中央の政治家の誰かが「沖縄は危ない」といい、マスコミがそれを取り上げ、結果観光客が劇減し大きな打撃を受けた。同じ日本で「危ない地域」に住んでいるわたしたちウチナーンチュ。対岸の火事とただながめているだけじゃなく、基地を身近に感じながら暮らしている県民こそが行動を起こすべきじゃないだろうか。 |
| 確かに沖縄は、慢性の就職難にあえぎ基地経済に大きく頼っている。実際やんばる娘の友達も軍雇用で働いているし、やんばる娘も軍雇用をずっと希望していた。(就労条件がめちゃくちゃいいのよね)軍用地料で生活している人もいるし、簡単に「基地撤去!」と叫んどけばいいというものじゃないということは分かっている。しかしこのまま知らないふりをするわけにはいかないんじゃないだろうか。 |
| 中村医師の受賞のあいさつで強く心に響いたもの、そして考えなければならない言葉を取り上げてみる。 |
| <復興支援で多くの援助団体がアフガンで活動しているが |
| 女性の人権や教育援助が声高に叫ばれているが、ほとんどの人々は明日の食料に困窮している。ピントがずれたプロジェクトも多い。「押し付け」は絶対に避けるべきだ。 |
| <日本も報復攻撃を支援したが |
| 明らかに憲法違反。平和憲法は、先輩や祖先の汗と血を流し、得た成果であり、それを「古くさい非現実的な精神主義」と笑い飛ばし、魂を売ってはならない。戦後、日本経済は幾度かの戦争特需で飛躍した。華美な生活を守るために殺りくを是認していいのか。曲がり角にきている。 |
| <県民へのメッセージは |
| 大国にほんろうされた沖縄の人々が共感で迎えてくれたことが本当にうれしい。県ではなく、県民から贈ってもらったと受け止めている。日米の軍事協力のしわ寄せが沖縄を苦しめている一方で、基地経済に頼ることは、戦争特需で潤った日本と同じだ。目先の景気対策に惑わされ、殺りくに加担してはいけない。基地を撤去し、貧しくても誇り高い沖縄を目指してほしい。 |
| 今、大学院設置や金融特区そしてカジノ誘致などを沖縄に持ってこようとしている。その見返りに、名護の辺野古に普天間代替基地建設を容認させようとしているのは明白なのに、どんどん景気対策の計画だけが先走り、「新たな基地建設反対の声」がそんなに聞こえなくなった。現在ある基地は、日本敗戦後、ブルトーザーと銃で無理やり土地を奪われ作られたものだ。それを今度は私達から率先して、沖縄の財産である海を埋め立てまでして新しい基地を作ろうとしている。基地がある故の苦しみに耐え、貧しくてもこれまでがんばってきたのに、沖縄の命ともいえる海を売り渡してまで手に入れる裕福さに何の意味があるのだろうか。世界に誇れる大学院よりも、ジュゴンが住むウチナーのキレイな海を世界に誇ることが、ウチナーの発展につながると思う! |
「普天間基地返還合意」から7年、着々とへ辺野古沖への代替基地建設計画が進んでいる今、もう一度この問題を考えてみた。
| 返 還 合 意 |
| 1996年4月、当時の首相橋本龍太郎とモンデール駐日米国大使が『普天間飛行場を5年ないし7年内に全面返還する』という電撃的な合意を発表した。 |
| 県 内 移 設 |
| しかし、返還は『県内移設』という条件となって、移設先の住民や自治体に重くのしかかる。 |
| 太田知事反対表明 |
| 1998年2月、太田知事は名護市辺野古沖埋め立てによる代替施設建設を拒否。直後に政府は沖縄の振興策を凍結。当時の吉本副知事は、「条件さえ整えは、受け入れも模索したが、国と経済界が総力を挙げた名護市民投票で反対が上回った。政府は県内移設から手を引くべきだった。」と述懐。 |
| 新知事誕生 |
| 1998年11月、15年使用期限による軍民共用の代替施設建設を公約に掲げた稲嶺氏が新しい県知事に当選。普天間問題は大きな転換期を迎える。 |
| そして2003年 |
| 2003年4月、宜野湾市市長選挙で『県内移設』に反対した革新系無所属の伊波洋一氏が当選。基地被害に苦しむ市民が選択した民意。政府と県が進めてきた名護市辺野古沖への移設に明確に「ノー」の意思を示す新市長を誕生させた意味は小さくない。 |
<やんばる娘の意見>
| 7年前、『普天間返還』のニュースを聞いたときは、本当に驚いた。衝撃といっていいくらいだった。生まれたときから基地は沖縄に存在しており、どんなに基地撤去運動とかが起こっても、基地は沖縄から絶対無くならないだろうという、あきらめに近い確信が常にあったからだ。冷戦も終わり、基地の存在意義がクローズアップされるようになり、政府が明確に打ち出した『普天間返還』のニュース、そして米兵による中学生婦女暴行事件により起こった県民基地反対集会など、まさに時代の流れの大きなうねりをひしひしと感じたものだった。そして、あきらめていた基地撤去が現実にありうることかもしれない、いや絶対実現させて見せるぞという希望があった。 しかし、『県内移設』しかも海上を埋め立てて新たな基地を作り、そこに移すという。あまりにも理不尽な条件に怒りを通り越してあきれるばかり。反対を唱えた太田氏は再選せず、「15年使用期限」を公約に掲げた稲嶺氏が新しい県知事となり、また、名護市民投票では移設反対とでたにもかかわらず、受け入れを表明した島袋氏が名護市長に当選。結局、県民・市民が県内移設を容認したことになるじゃないか! 代替基地建設による見返り振興策に踊らされて、どんどん計画が進んでいく。もし本当に海上に新しい基地が出来てしまったら…15年期限なんて守られるわけないじゃないか。現に日米両政府は「15年先の国際情勢、日米安保体制は予測不可能」とコメントしている。県内移設に反対した伊波新宜野湾市長は、基地被害拡大、環境破壊をもたらすとし、また、移設作業が20年余りの期間を要することに長期的な普天間放置だと批判、国外への分散、機能移転による早期返還を訴えた。 今現在ある基地は、敗戦後「銃剣とブルトーザー」による強制接収によるものだった。それなのに、沖縄県民の意思によってジュゴンも生息するような美しい海を埋め立てて新しい基地を建設しようとするなんて、とんでもないことだぞ! BEGINのヒット曲「オジー自慢のオリオンビール」の歌詞に、「仕事を探しに内地に行こうかね?というと、オジーが答える。金がなければ海に行けば良い。魚があれば生きていける。」とあるそうだ。(この曲いいよね。)また、旧暦の3月3日「浜下り」の日、各地で海岸にでる人々の様子がニュースで流れた。(残念ながら、やんばる娘は浜下りの経験はないけどね。うらやまし〜)辺野古でも基地内の海岸が開放されたそうだ。この美しい海に、巨大な基地建設のための埋め立て計画が進められている。豊かな海が失われてしまう代償はあまりにも大きいと思う。自分の子供や孫に、基地を財産として残すことは、絶対にさせてはならない。人事ではなく、自分のこととして、もう一度、この問題をみんなで考えよう。 |