2012/10/17
「第二の名護市民投票」に勝利  「新しい基地はいらない」
-13年間足蹴にされ封じ込められてきた市民の誇りを奪回-
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圧  政

 10月1日、岩国に一時駐機されていた12機のMV-22オスプレイの沖縄への配備が開始されました。6日までに全12機が普天間飛行場に移動され、2011年に米カリフォルニア州ミラマー基地で組織されたVMM-561(中型垂直離着陸機中隊)は普天間所属のHMM-265(中型ヘリコプタ中隊)を改編しVMM-265として沖縄に常駐する計画です。更に2014年までにHMM-262をMV-22オスプレイを12機擁するVMM-262へと改編し、全部で24機のMV-22オスプレイの沖縄配備が計画されています。

 日米両政府は、「安全宣言」や「運用ルール」などMV-22オスプレイの沖縄配備を正当化する方便を繰り出し、国内での飛行にお墨付きを与えられたMV-22オスプレイは沖縄に配備されるや、今度はその方便そっちのけでヘリモードでの市街地飛行、市街地上空でのモード遷移、タッチ・アンド・ゴーに低空飛行を繰り返し、従来機より静かだという主張も90dbの騒音であっさり覆し、傍若無人に沖縄の空を飛びまわり始めました。野田佳彦首相の「安全」な「優れた装備」は「わが国の安全保障に大きな意味がある」と無意味に語る饒舌さ、森本敏防衛大臣の「米側が予定を実行したのではないか」という他人事のような態度には、沖縄の人々を思いやる気持ちの微塵もないことを感じずにはいられません。沖縄県民の総意に応える策を何ら見いだせない政府にとっては、その総意を一顧だすることなく、民主主義の外皮をも脱ぎ捨て、沖縄を切り捨てる道を選択せざるをえなかったのかもしれません。まさに無力の裏返しとしての圧政です。けれども、これほどまでの沖縄への圧政は、おそらく高等弁務官時代以来のものではないでしょうか。米国のメッセンジャボーイに身を持ち崩した日本政府の圧政に”怒り”は激しい”不信”へと深化しつつあります。

 配備を許さないと普天間飛行場の主要なゲートは強制排除されるまでの5日間にわたり沖縄の人々によって封鎖され、配備当日も早朝から抗議の人々がゲート前を埋め尽くしました。10月3日には名護市でオスプレイ配備撤回を求める市民大会が行われるなど、沖縄の人々のねばり強く揺るぎない訴えが続いています。オスプレイの配備は沖縄の人々にとってどれほどの「恐怖」となっていることでしょうか。さもなくば、9月9日に10万3000人もの人々が「オスプレイ沖縄配備反対」の意志を表明するはずもありえなかったのではないでしょうか。
オスプレイ No!

 9月9日、宜野湾海浜公園に向かう人並みは早朝から絶えることがありません。真夏の太陽の日差しが降り注ぐ中「オスプレイ配備に反対する県民大会」に参加する人々が、思い思いの赤い色のシンボルを身につけて集まっていきます。もはや「イエローを超えている」ことを訴える赤色のシンボルには、参加者各人の確信が込められています。沖縄への米軍基地負担の集中こそが日本の安保政策であると思いこんでいる日本政府のふるまいが、この20年来歴史の転換点を迎えていることを訴え続けてきた沖縄の人々の心に育くむことになった確信です。それは、基地に依存しなくても沖縄は自立して生きていけるという自信を土台に、沖縄の未来は自分たちが決めるという自覚に裏付けられています。

 本島では市町村役場、支所・集会所に老若男女の区別無く大会に参加できる人々が集まり、送迎バスが、次から次へと人々を会場に運びます。宜野湾市周辺ではあちこちの食堂や散髪屋さんなどの店先に「大会参加のため臨時休業します」というはりがみが見うけられます。テレビもラジオも特別番組で大会の様子を実況生中継すると予告しています。テレビニュースののキャスターやラジオのパーソナリティーの皆さんが真剣な顔色、緊張した口調で大会の開催と特別番組の編成を伝えます。次から次へと会場に到着する人々は、なるほど動員に応じた人々なのでしょうが、その一人一人の顔は、子どもたちまでもが、私たちには訴えるべき主張があり、この県民大会を、沖縄が置かれている現実、いかに反対を表明してもそれに応えることなく、米軍の計画を絶対視して推し進める日本政府の、沖縄差別、沖縄の切り捨て、理不尽と圧政を断じて許しはしないことを主張する場にするのだという自覚と誇りに満たされています。本島の10万1000人、宮古・八重山大会を併せた10万3000人という県民の1割に当たる人々の直接行動は、いわゆる”動員”ではない自覚した人々の結集であることを見せつけました。

 大会の共同代表の一人、翁長雄志那覇市長は挨拶に立ち「日米の強行は”銃剣とブルドーザー”のころと同じ構造が続いている」「これまで県民同士での白黒闘争を押しつけられてきたが、いまや基地の整理縮小はうちなーんちゅのアイデンティティーとなって全県民が合意している」「沖縄は、もう十分安保に尽くしてきた。もう勘弁してほしい」と熱弁をふるいました。政治的立場として保守陣営に立つ彼の発言ではあっても、その訴えは参加者の気分に完全に一致したものでした。民衆の力を利用した政権交替を地におとしめた民主党の自堕落の中にあっても、普天間県外移設派が多数派を占めることになった6月の県議会選挙、オスプレイ配備反対の大きなうねりの中でなされた7月31日の北部市町村会の「辺野古移設撤回を求める決議」など、沖縄は民衆のイニシアチブが政治を動かしています。県民大会事務局長の玉城義和県議はこの大会がオスプレイ配備反対の「出発点だ」として、県民のオスプレイ配備反対の訴えを揺るぎなく、ねばり強く続けなければならないことを訴えました。

 この大会には、沖縄の全市町村長、全市町村議会議長、沖縄選出の全国会議員が参加したことになっています。けれども、8月5日に予定されていた県民大会には参加を表明していた仲井真弘多沖縄県知事は参加しないことを大会直前に表明したほか、党務を理由にした自民党の島尻安伊子参議院議員と外間守吉与那国村長が会場に顔を出さなかったことは余りにも象徴的でした。仲井真知事はメッセージを大会に寄せましたが会場の激しい不参加への抗議で、メッセージの読み上げはかき消されてしまいました。仲井真知事は大会の時間、おりしも名護市で行われた県の防災訓練に出向きました。名護湾の中央に自衛隊のヘリコプター護衛艦HDD-181「ひゅうが」を招き、これを核に行われた軍事演習としか見えない訓練を視察していました。自民党が政権を奪還したときの顔色をうかがっているのやら、識名トンネルでの5億を超える振興予算の不正流用と3000億円の次期振興計画一括交付を秤にかけて県に圧力をかけ続ける政府の顔色をうかがっているのやら様々な憶測を招きましたが、いずれにしろ仲井真知事の行動は厳しい批判にさらされたのは当然のことでした。また佐喜眞宜野湾市長も普天間飛行場の移設を急務としましたが、”県外”には言及しませんでした。沖縄の政治的主導者の中に普天間飛行場の移設問題で”県外”を曖昧にする風潮が見られたことも今回の大会の大きな関心事でした。

 けれども、閉会の挨拶に立った加藤裕沖縄弁護士会会長の「宜野湾であろうと、高江であろうと、どこであっても沖縄の空にはオスプレイを飛ばさせない」という訴えは、政治の駆け引きの中で右往左往する政治家たちのふるまいとは区別される、民衆のイニシアチブの下での闘いの目標を指し示しているようでした。
本島全土から貸し切りバスが人々を会場に運びます。
大会の様子はテレビ・ラジオで実況生中継されます。
参加者はみんな、主張をもって大会に参加しています。
現実を無視した安全議論

 オスプレイの沖縄配備について「安全が保障されていない」「危険だ」「欠陥機だ」と訴える沖縄の人々に対する政府の「安全性」についての議論と「安全宣言」はあまりにも空虚なものでした。

 米軍が、航空機が10万時間飛行したときにクラスAの事故すなわち死者が出るか200万ドル以上の損害を出す事故を起こした実績を「事故率」と規定し、安全性の尺度だとしているものを、政府はそのことの一切の妥当性の検証を抜きに、そのまま「安全性」の尺度として持ち出してきました。この尺度によれば、MV-22オスプレイによって更新が予定される普天間飛行場に配備されているCH-46シーナイトというヘリコプターの事故率は1.11だとされ、2004年に沖縄国際大学に墜落したCH-53Eシースタリオンは4.15だとされています。これに対しMV-22オスプレイのそれは1.93であるとされ、政府は「危険だ、危険だといわれているが、実はさほど危険なものではない」とさまざまなメディアを通じて大宣伝を繰り広げたのでした。けれども、墜落事故の絶えないF-15やF-16といった戦闘機ですら3から7とされる中で、空軍型オスプレイCH-22の13.47という高い事故率の説明はつかず、CV-22オスプレイは特殊作戦用で激しい訓練をするので仕方がない、本気で訓練すれば落ちることもやむを得ないと、オスプレイが落ちるものだと開き直ります。

 他方、安全だという根拠にオスプレイの事故が機体の構造に由来するものではなく人為的なのだと強調されました。機体に起因しようが、パイロットに起因しようが落ちれば同じことなのに、落ちたのはパイロットのミスだからオスプレイは安全だと、わけのわからないうわ言のような説明がが繰り返されました。

 米軍が自国でオスプレイの安全性を主張しなければならないとき、そのオスプレイの新規性からオスプレイそのものの構造的欠陥が指摘され、開発中止のピンチに何度もあってきたことが”事故の人為性”を強調させ、開発と量産の継続のためにMV-22オスプレイの事故率が意図的に低く公表されてきました。政府が示した「安全性」の根拠は、この空・海・海兵隊の米3軍が、自らの国内向けに用意した「安全性」の根拠を、それをそっくりそのまま、一言一句忠実に書き写したものでしかありませんでした。政府自らオスプレイの安全性をなんら検討することもなく、せめても沖縄の人々に心から説明する気も持ち合わせていなかったのですから、議論が空虚になるのは無理からぬことでした。けれども空虚で不誠実な議論からは悲しみにも似た憤りがふつふつと湧き上がってくることを禁じえません。

 第一に、いかに低い事故率であったとしても、MV-22オスプレイがクラスA事故を起こす場所は、配備が行われている沖縄である可能性が圧倒的に高いのは自明です。決してMV-22オスプレイが自分の頭の上に落ちてくることのない場所に暮らす人々が、落ちてくることを恐れている人々に向かって、根拠も無く「オスプレイは安全だ」などと語りかけることを慎まなければならないことは福島での出来事で痛感したのではないでしょうか。

 第二に、低い事故率だという1.93は、24機が配備される沖縄では、全機が1日平均1時間飛行すれば5年10ヶ月に1度クラスAの事故を起こすことを主張しているのであり、それを「たいして危険ではない」と沖縄が受け入れなければならない根拠などどこにもありません。

 第三に、実際の事故率が1.93など到底認められない数字だということです。空軍CV-22の事故率が13.47(先と同じ仮定なら10ヶ月に1度クラスAの事故を起こします)であること、海兵隊に納入されたMV-22オスプレイのうち40機の行方が不明とされ、機体をスクラップにしたり死者が出た事故が数多く隠蔽されていることはほぼ確実であるからです。

 第四に、そしてこれが何より重要なことなのですが、沖縄がたどってきた戦後の歴史とそれによって育まれた沖縄の人々の感性や感情、そして今日おかれている現実を土台におかない安全議論はありえないということです。戦後、米軍は沖縄の人々の暮らす頭上で航空機による演習を実施しました。実に航空機の墜落や落下事故で亡くなられた方は32人に達します。多くの負傷者、火災、農作物被害、土地の奪取など空からの災禍はやむ事はありませんでした。復帰後は幸いなことに死者こそ出ていませんが、人々が生活する場に航空機が墜落することもしばしばで、ヘリコプターが不時着したり、部品や資材・人が落下してくる事故は日常茶飯事のことになっています。ここで注意しておかなければならないのは、確かに復帰前は本土でも数多くの米軍機による事故が起こっており、多数の人々が死傷していました。けれども、復帰以降の米軍基地の本土から沖縄への移転・集中で、事故もまた沖縄に移転・集中された歴史的経緯を忘れてはならないのです。2004年の沖縄国際大学へのCH-53Eシースタリオンの墜落の際、近隣の家屋内にロータの破片がすさまじい勢いで飛び込んでくるなど死者が出なかったことのほうが不思議な事故が、今日なお起きているという現実を直視しなければなりません。庭先に燃料タンクが落ちていた、緊急着陸が必要になって燃料を市街地で空から撒き散らした、低空飛行をして民家の屋根を吹き飛ばしたり、漁船を風圧で切りきり舞いさせたなど、事故報告をつぶさに見れば、今日なお日常の生活が大変な危険にさらされていることを見ないわけにはいきません。そしてこれらの事故が人が死んでいないのだからクラスAの事故ではないので事故率に含める必要はないという米軍の立場を、こともあろうに日本政府までが何の躊躇もなく踏襲しています。沖縄の人々が、一体自分たちはどこの国の国民であるのかと訝るのは根拠のあることです。そのようなことをされた人間でなければ、そのようなことを近くで見た人間でなければ、味わえない不安や恐怖にさらされ続けてきた沖縄の人々の感情や感覚を無視した安全議論に何の意味があるのでしょうか。事故率が1.11だというCH-46シーナイトは公表されたものを数え上げただけでも、沖縄で墜落事故10回、部品落下事故3回、不時着含む緊急着陸を17回もしています。事故率4.15のCH-53Eシースタリオンは同じく墜落事故5回、部品落下事故6回、不時着含む緊急着陸を19回しています。 こうして沖縄の現実から出発すれば、MV-22オスプレイの事故率が1.93で”安全だ”と主張することは、それよりも事故率の低いCH-46シーナイトが沖縄では10回も墜落ていることを考えれば、MV-22オスプレイは、今後30年ほどの間に17回近く墜落するんだと主張しているのと変わらなくなるのです。

 MV-22オスプレイの沖縄配備を控えながら、今年に入って2度も墜落事故を起こし、配備直前には米国内で市街地に煙を吐きながら不時着したような醜い姿を世に示しながら、「安全性を否定する要因が見つからない」などという政府のあつかましい宣言は、安全性議論が安全性についてひとかけらも議論されたものではなく、「とにかくオスプレイを配備さえすれば型がつく」「沖縄だけが騒いでいるのならそれでいい」「本土に安保を脅かす要因は置かない」「沖縄は振興策で黙らせる」という、復帰後一貫した時代錯誤もはなはだしい構造的沖縄差別に基づく日米安保体制への飽くなき執着のための方便があからさまに口を突いて出てきてしまったものなのです。
沖縄での米軍機による墜落・落下事故、緊急着陸

沖縄でのCH-46による墜落・落下事故、緊急着陸

沖縄でのCH-53による墜落・落下事故、緊急着陸
オスプレイに内在する根本的欠陥

 2010年9月に米海兵隊が公表した”2011会計年度海兵隊航空計画”は、前年までのそれとは異なり、計画達成の最重点項目にCH-46EシーナイトのMV-22オスプレイへの転装計画が押し出されました。4年連続で毎年1兆ドルを超える財政赤字を出し続ける米国は、財政赤字削減策がまとまらなければ自動的に予算削減措置が強制されるトリガー条項によって国防費が大幅削減の対象となる状態が続いています。2012会計年度にはこのトリガー条項が発動され、10年間で1兆ドルの予算削減を前提とした国防費の大幅削減が行われました。2013会計年度は大統領選挙も絡み合って、政府と議会の国防費をめぐるせめぎあいが続くことでしょう。老朽化したCH-46シーナイトのMV-22オスプレイへ転装を最重要項目に挙げ、それを計画通り進めなければ、国防費の削減の項目として常に槍玉にあがるMV-22オスプレイの調達削減が議決されかねないという海兵隊と製造元のベル・ヘリコプター、ボーインググループの危機感が、沖縄の人々の訴えをことごとく踏みにじってでも配備を強行している背景にあります。

 4軍共用を前提に開発するとされながらも陸軍は採用することなく、1980年代の冷戦時代の古い設計思想で開発された時代錯誤の産物であるMV-22オスプレイがほんの数年前まで実戦投入できなかったこともあって、開発費は300億ドルを超え、納入単価も下がったとはいえCH-46シーナイトが10機以上購入できる1機6000万ドルを越える高価な兵器となってしまいました。ここには冷戦終了後の米国の軍産複合体内部の矛盾がMV-22オスプレイに植え付けた深い傷を見ないわけにはいきません。

 米国では第二次大戦後すぐにヘリコプターに比べ速力でも、飛行高度でも、航続距離でも高い能力を持ちながら、固定翼機とは異なり長い滑走路を必要としないティルト・ローター・クラフトは次世代の新たな範疇の航空機として注目されていました。けれども、新たな範疇の航空機開発は全く手探り状態で、試作機を作り続けていたベル・ヘリコプターはその開発費の捻出を軍に頼り、その結果空軍、陸軍の支援を得て、本格的開発に着手したのは1973年のことでした。

 1979年、ベル・ヘリコプターがXV-15と命名された試作ティルト・ローター機の遷移飛行(回転翼飛行と固定翼飛行の切り替え)に成功し、これと手を結んだボーイング・バートルが1883年に米軍の主契約を獲得しました。米軍のティルト・ローター機の開発に拍車がかかったのは、1979年のイランの米大使館員人質救出作戦の失敗の原因をヘリコプターの航続距離の短さに求めたことによると言われていますが、現実にはこれは開発の正当化の口実に利用したものでしかないといわれ、真偽は定かではありません。いずれにせよ、1981年のレーガン政権の発足はティルト・ローター機開発を強力に後押ししました。このようにMV-22オスプレイ開発は米ソ対立と途上国の反米・解放運動の動きの中に端緒がありました。

 6年の歳月を経た1989年、V-22と命名されたオスプレイの試作機が初飛行に成功したとき、開発のきっかけとなった冷戦は終結し、残された巨大な財政赤字対策が国防予算と兵力の削減を要求していました。父のブッシュ政権時のディック・チェイニー国防長官は1機1億4000万ドルを超える高価な兵器と、総額300億ドルに達する開発費を挙げてオスプレイの開発の中止を主張しました。米軍御用達のハリバートンの最高経営責任者でもあったディック・チェイニー国防長官のこの主張は冷戦終結後の国防予算の配分を巡る軍産複合体内部の対立をうかがわせます。1991年と92年にたてつづいて起きた試作機の墜落事故は政権の開発中止要求に勢いを与えました。ベル・ボーインググループの反撃は議会を巻き込んでのすさまじいものでした。全米40州2000社にも及ぶサプライ・チェーンを作り上げ、地元出身議員を介して「雇用」と「税収」を盾に政権に立ち向かいました。1973年に迫る大統領選挙を前に政権に対抗するクリントン候補を取り込んでおくことにも抜かりはありませんでした。これにはブッシュ・チェイニー側も開発中止方針を取り下げざるをえませんでした。

 クリントン政権が発足するとペリー国防長官はオスプレイの開発を支持し1995年には原型が、1997年には量産先行機が飛行を開始しました。1999年にはその量産型機の納入が始まりました。順調に量産体制に入り、2000年5月には初の量産MV-22の第一ロット5機が納入のはこびとなっていた直前の4月8日にアリゾナでオスプレイが墜落、それでも海兵隊は人為的ミスを強調しながら飛行を再開しましたが、年末には本格的な量産決定を下すばかりとなっていた直前の12月にノースカロライナで再び墜落事故を引きおこしてしまったでした。ここに再びあのディック・チェイニーが子のブッシュ政権の副大統領として登場し、オスプレイの全面飛行禁止措置を取り、開発継続を巡り再び政府と議会の激しいつばぜり合いが演じられることになったのです。けれども2001年の9・11が開発継続を決定づけるきっかけとなり、翌年5月には飛行再開となりました。ただ、この飛行再開はこの先3年に渡る安全評価飛行とされました。2005年9月、安全評価飛行期間を終え国防総省は量産決定を出し、2007年にはイラク戦に、そして2009年にはアフガニスタン戦に投入されました。表面的には順風満帆に見えた時期でしたが、実際には2003年以降オスプレイが起こした事故はことごとく隠蔽され続けました。2010年にアフガニスタンで発生した墜落事故は死者が出たこともあり最終的に公表されましたが、フライトレコーダを紛失するなど事故原因そのものが隠蔽されてしまいました。

 こうしてオスプレイの開発を巡って見えてくるものは、冷戦期に国防予算を湯水のごとくつぎ込み新たなティルト・ロータ・クラフト技術の開発に取り組んだものの冷戦が終われば、とてつもなく高額の兵器が莫大な開発予算を投入しながら道半ばで取り残され、減少する国防予算の争奪戦の中でその前途が危ぶまれるとき、とにかく完成を急ぎ、量産にのせてしまいたいという衝動が働いていることです。実機での検証もそこそこに”安全”を宣言し量産機を製造し配備を進める、パイロットたちは普通のヘリコプターだと思って操縦する、するとパイロットたちが知るヘリコプターとは全然違う挙動をとる、すなわち、最近は考えることもなかったボルテックス・リング状態が起きる、近づけば後方乱流によって制御を失う、少しの追い風で地面にたたきつけられる、着陸しようとするとエンジンが火を噴く、一方のエンジンが止まってもジョイントシャフトでもう一方のロータが回ると聞いていたのにバランスを失って墜落する、検証など行われていない証だとしか言えません。量産を強引に開始したからには墜落などあってはならないのです。安全でないことが分かれば再び飛行禁止に量産停止、しかし続発する事故、隠すしかないのです。納入された40機のオスプレイが行方不明になるなど、尋常では考えられない出来事が起こっています。落とせないとなれば、落ちない飛行をするしかない、遊園地の飛行機のようにしか飛べなくなったオスプレイに「箱入り娘」と揶揄する兵士が出てくるのも当然かもしれません。そして今年になって発生した2件の事故、空力特性が未だに把握されきっていないことの証左です。エンジントラブルを発生させる洗練されていないハーネシング・ケーブリング・パイピングについての検証も曖昧なままです。パイロットの思い通りに飛べない航空機、それほどの構造的欠陥を抱えた航空機がどこにあるのでしょうか。

 冷戦期のコンセプトで開発されたオスプレイは、冷戦の終結と共にその時代錯誤の姿をあらわにしました。そのことがこの航空機の欠陥を内に閉じ込めたまま今日に至った本質的原因だと言えそうです。
公表されたクラスA事故の詳細と隠蔽された事故

オスプレイの開発経緯と公表されたクラスA事故
辺野古新基地建設のむしかえし

 オスプレイ配備の動きに伴って、それを何とか、その計画の実現が風前のともしびになっていた、名護東海岸の辺野古への新基地建設の復活を結びつけようとする人々が登場してきました。自民、民主の歴代の外務・防衛大臣が新基地にオスプレイが配備されることを関連づけたことはなく、オスプレイの配備を前提とした新基地の環境影響評価も行われては来ませんでした。「日本に対する配備が計画されているとは聞いておりません」「軍事的に日本側に要請してきたという事実はない」「アメリカから正式に決まった計画だとは聞いておりません」。公式にはこれらが政府の公式見解であり、”オスプレイが普天間基地に配備されることは知らなかった”ということでした。

 現実には1996年に新基地の滑走路の長さを議論する際には議題に上っており、2006年のV字案のマスタープラン策定時にはMV-22オスプレイの配備を前提にしていることが報道されました。政府が国民相手に政治的駆け引きを行い、環境アセスをスムーズに進めるための方便を繰り返してきたことが分かります。森本敏防衛大臣が拓殖大学の教授であり、何も隠す必要のない無責任な立場におられたころにはオスプレイが普天間に配備されることを断言し、それが「未亡人製造機」と呼ばれるほどに危険なものだと話しておられたことは、皆が知っていることです。2010年9月に米国が日本にMV-22オスプレイ配備を公表したとき、時の北澤俊美防衛大臣は「開発段階では事故があったが、現在は心配しておりません。できる限りの説明をしたいと思います」と語り、今年6月MV-22オスプレイ配備の「接受国通告」がなされるや「配備は米政府の方針であり、日本はどうこうしろとはいえない」と「できる限りの説明」を行ったのでした。

 しかし、自民、民主と政権交代を経ながらも、詰まるところ継承された辺野古新基地建設が完全に行き詰まった今日、オスプレイの配備を用いて新基地建設を蒸し返し始めた人々の動きには警戒せざるをえません。北澤元防衛大臣は訪米し、辺野古移設の非現実性を指摘して普天間維持を唱えるレビン米上院軍事委員長に、辺野古移設を受け売り「移設で合意」との報道がなされました。森本防衛大臣はパネッタ米国防長官との会談のたびに、オスプレイだけでなく、常に辺野古移設推進を確認し続けています。そして彼らは言うのです。「みなが危険というものを市街地の基地に置いておけないから移設しなければならない」と。オスプレイは安全だから普天間飛行場に配備するがオスプレイは危険なので辺野古に移設するという、全く訳の分からない論理展開を推し進めるためには、森本大臣のような鉄面皮なしには笑いをこらえることができないでしょう。防衛大臣として辺野古移設を推進してきた石破茂自民党幹事長も7月20日付けの自己のブログで「後継機の選択肢はオスプレイしかないことは以前から分かっていた」「ティルトローター機はは幾度も失敗を繰り返し、多くの犠牲を払いながら、ようやく今日の実戦配備を迎えた」「何の努力も犠牲も払わない国が・・・反対運動を繰り返す様は米国にとっては理解しがたい」「絶対の安全はありえない。リスクは常に存在し、いかにそれを極小化するのに全力を尽くすべきだ」「だからこそリスクを最小化するために辺野古移設を進めていたのです」と書きました。オスプレイの開発で死亡した人々に比肩する人々が沖縄での米軍機の事故で死亡し、航空機事故のみならず米軍の被害にさらされ続けてきた沖縄の人々の犠牲を省みることもなく、自らの防衛大臣時代に、オスプレイの配備を前提に普天間のリスクヘッジとして辺野古移設を進めていたことを、隠していたことを詫びるならともかく、今になって正当なことだと語るなど、責任がないというのは本当に気楽なものです。

 これを書いている最中、二人の米兵による女性への暴行事件の知らせが入りました。沖縄にやってくる米兵たちの中には、今なお沖縄は植民地でしかなく、そこに暮らす女性は強姦の対象でしかないと考えている不届きものが数多くいるということです。そして米軍もまた日本政府の米国への再発防止要請など、意にに介することなどないほどに軽んじているからにほかなりません。けれども、それもこれも、自国政府が沖縄にしていることの写し鏡になっていることを感じずにはいられません。

 沖縄無視のオスプレイの押しつけは、いまや、沖縄の人々にとっては、圧政、ヤマトのウチナー支配としか映っていません。復帰40年の節目の年に、沖縄にこれほどの屈辱を味わわせた日本の政権は、単にオスプレイにとどまらず、そして辺野古新基地建設にとどまらず、より大きな対立の構図の中に身を置くことになる事態を覚悟しなければなりません。

 それにしても、オスプレイが沖縄に配備され、不気味なうなり声を上げて飛行しています。「”安全”と欺き機体が大きな叫び声をあげて落下する姿を県民は何度見ただろうか」と沖縄タイムスの「大弦小弦」は書きました。いずれ、オスプレイは沖縄から姿を消し、普天間飛行場も沖縄の人々の下にもどることでしょう。願わくばそのときまでオスプレイのあげる「大きな叫び声」が沖縄の人々に災禍をもたらさないことを願うばかりです。
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