日米安保 4つの密約
1960 06/23 日米新安保条約発効
60年の日米安保改訂時に特に核の持ち込みの事前協議について、日米安保条約第六条の実施に関する交換公文(岸・ハーター交換公文)及びいわゆる藤山・マッカーサー口頭了解を交わす。内容の一部は公開されず、岸・ハーター交換公文では、米軍の日本への兵力配備における重要な変更、米軍の装備における重要な変更、日本から行なわれる戦闘作戦行動のための国内の基地・施設・区域の使用の際には日本国政府と事前協議を実施することで合意。けれどもこの秘密にされた部分で事前協議の対象からはずされた項目が密約となった。

このときの秘密部分の合意はのちに1999年に全体像が明らかになる。それは以下の3文書に記載。「日米安保条約に関連して結ばれた非公開合意の要約」、「討議記録」、「日米安保における事前協議方式の解説」。そしてこれによって、
第1の密約 
核兵器搭載艦艇や航空機の立ち寄りは事前協議の対象外

この「討議記録」で、事前協議は「米軍機の日本飛来、米海軍艦艇の日本領海並びに港湾への進入に関する現行の手続きに影響を与えるものと解釈されない」として、安保改訂前から行われていた核搭載艦艇の寄港や航空機の立ち寄りは事前協議の対象から外された。
第2の密約 
朝鮮半島有事の際の米軍による在日米軍基地の自由使用

「事前協議方式の解説」で、朝鮮半島有事の際に「戦闘作戦行動のために在日米軍基地の使用を認める」ことを、安保条約発効後の日米安保協議委員会で時の藤山愛一郎外相が発言することで合意。発言として議事録に残す手段が取られた。
1963 01/XX 池田勇人首相、核兵器搭載艦艇の日本寄港は認めないと国会で答弁。
04/04 ライシャワー駐日大使、核搭載艦艇や航空機の立ち寄りは「持ち込み」には当たらないとする1960年の密約を時の大平正芳外相に再確認。今後この了解覚え書きを内部文書にして外務次官が代々引き継ぐ。
ライシャワー駐日大使がラスク米国務長官に送付した公電。
私は大使公邸での朝食会で大平正芳外相と会い、「討議記録」の解釈で米国側説明の線で完全な相互理解に達した。米国が「イントロデュース(持ち込み)」という言葉が日本の領土上に配置したり設置したりすることを意味すると説明した。大平氏は、この言葉を今後はそういう意味で使うと述べた。
1964 11/09 第1次佐藤内閣成立。池田首相病気引退で内閣総辞職で。
  ライシャワー駐日大使、ラスク国務長官に沖縄の施政権返還の早急な検討開始を勧告。
1965 01/13 第1回佐藤・ジョンソン日米首脳会談。佐藤・ジョンソン共同声明。
佐藤首相沖縄返還を提起。米ベトナム本格介入前に議論ならず。
・「沖縄における米国の軍事施設が極東の安全のために重要であることを認め」、沖縄の米軍基地機能の原則的維持確認。
・佐藤首相は「施政権ができるだけ早く日本に返還されるようにとの願望を表明」
・ジョンソン大統領は「自由世界の安全保障上の利益がそのような願望の実現を許す日を待望している」。
02/07 米国ベトナム北爆開始 ベトナム戦争全面介入。沖縄からも出撃。
07/28 B-52台風避難名目にグアムから飛来しベトナム爆撃。
B-52の沖縄配備は岸・ハーター交換公文で規定された事前協議が必要な行為だとの指摘も。
B-52、沖縄配備に佐藤内閣「ベトナム問題は極東の安全に重大な脅威を与えるものであり、B-52の沖縄発進は日米安保に違反するものではない」「常駐ではないから配置の重大変更にはあたらない。だから今後とも飛来中止は申し入れない」と表明。
08/19 佐藤首相訪沖(21日まで)
「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていないことをよく承知している」。
祖国復帰要求県民総決起大会。5万人。
その後2万人が佐藤直接面談求め幹線軍用道路1号線(58号線)をデモ行進し、宿泊先ホテル前で座り込み。1号線を封鎖。
佐藤宿舎を米軍ゲストハウスに変更後、座り込み継続巡り対立したが解散が多数占める。最後まで残った継続派に警官隊襲いかかり多数の負傷者。
民衆のエネルギーは日米政府の思惑を超えて事態の進展をもたらす予感。
1966   1964末のライシャワー勧告を受け、米国国務・国防両省ワーキングチームで検討。実現はしなかったが、施政権返還時の基地の”自由使用”が絶対条件であると確認。(「沖縄密約」 西山大吉 岩波)
1967 01/XX ライシャワー駐日大使、米国に帰任し米上院外交委員会で施政権返還めぐり証言。
02/XX 下田武三外務事務次官、「米軍基地の自由使用を認めるかどうかの具体策を打ち出すことが返還問題の前提」発言。波紋広げるが対米折衝の背景無し。
09/14 三木外相−ラスク国務長官、日米首脳会談予備会談
沖縄の施政権返還の日本が極東の安全保障で負うべき役割分担協議。
・東南アジア諸国への経済援助の米からの肩代わり
・ベトナム戦争への政治的支持
・沖縄の基地の自由使用、海外基地の整理縮小の肩代わり
09/XX 福田赳夫自民党幹事長、佐藤首相に若泉敬通じた対米秘密事前折衝を進言。
若林敬遺書(「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」
・三木外相の訪米で施政権返還問題は成果無しと記録。
・佐藤首相から「2,3年内に返還時期を決められるよう、何とか頼み込んでくれ」。
09/XX ベトナム戦争の泥沼化の様相で対米交渉降着の若林にロストウ大統領特別補佐官が提案(「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」)。
・共同声明と記者会見のスピーチで佐藤首相によるベトナム戦争徹底支持表明
・南ベトナムはじめ東南アジア諸国への援助の大幅拡充。
・米の財政赤字を減少させる諸施策の実施。 
10/08 佐藤首相、ベトナムはじめ東南アジア諸国訪問。対米交渉の手みやげ作り。
11/16 佐藤・ジョンソン日米首脳会談。第2次佐藤・ジョンソン共同声明
・アジア諸国が中共からの脅威に影響されないような状況をつくることが重要
・米国のベトナム政策への支持
・日米安保堅持、沖縄の米軍基地の重要性の確認
を前提に「両3年以内に沖縄の施政権返還期日決定」
佐藤首相。ナショナル・プレスクラブでのスピーチ
「米国は、南ベトナムを外部の干渉から守るため長期にわたって多数の人命を犠牲にし、巨額の戦費を費やしております。また、その一方、ジョンソン大統領が最近、サンアントニオで指摘されたとおり、米国政府は平和のためならいつでも、どこにおいても北側と無条件に話し合う用意があることを明らかにしており、紛争の平和的解決に対して、意欲的、かつ建設的立場をとり続けております。私は、アジア諸国歴訪を通じて米国のベトナムにおけるこのような努力がよく理解され、正当な評価を受けていることを痛感しました。現在の状態で米国がアジアに対する関心を失えば、アジアの平和と安定のみならず、世界の将来に重大な影響を及ぼすことになることが、よく理解されているのであります。また私は南ベトナム訪問に際し、選挙によって選ばれた新しい指導者が真剣に平和を求めている姿を知り、心強く感じました」。
こうして、沖縄返還予備交渉が成功し、本格交渉へと進むことになった。
12/11 佐藤首相、小笠原返還と米軍のプレゼンスに関連し、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を衆院予算委で提唱。
1968 03/31 ジョンソン大統領、一方的北爆停止、北ベトナムへの和平交渉呼びかけ、次期大統領選不出馬表明。テト攻撃、ソンミ村虐殺でベトナム戦争への厭戦と批判の強まり受けて。
11/04 ニクソン演説で、ベトナムからの米軍の撤退は南ベトナム政権の強化と段階的・計画的とし、交渉の障害は北ベトナムにあると主張。
11/11 初の琉球政府主席公選で新主席に革新共闘会議統一候補の屋良朝苗さん選出。
11/15 佐藤首相、米の政権交替にあわせ、ニクソン政権の外交顧問リチャード・アレンとコネを持つ高瀬保を米に派遣。
「誰も書かなかった首脳外交の内幕」 高瀬保 東洋経済新報社 1991
佐藤は「もしニクソンが佐藤・ジョンソン会談の合意を承認しなかったら・・・核付き、基地の自由使用まで後退しよう。その腹づもりで会ってきてほしい」。
そののち、佐藤の私的外交顧問の賀屋興宣が反対し”日米安保を沖縄にも本土並みで適用しないと大変な政治問題になる”と譲歩案を批判し「核抜き、本土並みで確認せよ」。けれども「”両三年内に”メドをつけるという佐藤・ジョンソン会談の線は、新大統領が就任式前のまだ組閣中というきわめて早い段階で、確認された」。
11/19 嘉手納基地でベトナム向け発進したB52が墜落大爆発。住民4人負傷。乗員2人重体。民家230戸被害。
11/27 自民党総裁選挙で佐藤栄作候補総裁に選出。沖縄返還での米軍基地巡り、三木武夫候補は厳密な”事前協議”による”自由使用”への歯止めを設ける”本土並み”を主張、佐藤候補は断定できないとかわす。
・核付き自由使用
・核抜き自由使用
・核抜き本土並み
1969 01/06 B-52撤去求め、いのちを守る県民共闘会議、10万人参加の2・24ゼネスト決行決める。
01/20 ニクソン大統領就任。沖縄返還の本格交渉の始まり。
「沖縄返還−省庁間調整のケーススタディ」 1972 米国防省 第3章 「決定の年−1969年」
「1969年初頭に発足したニクソン政権は、選挙の後までジョンソン政権によって延期されていた沖縄返還について決定を下す必要性に直面していた。沖縄問題と日米関係について取り組む必要性は、米国の中で広く認識されていた。また、佐藤首相は沖縄問題の解決に彼の政治生命を賭けただけではなく、沖縄の問題はB-52爆撃機の存在に対するゼネラル・ストライキの可能性を含め、険悪なレベルに達していた。69年1月までに、米政府内においては、沖縄だけでなく、日本本土で利用可能な米国軍事施設の使用を最大限にするため、沖縄返還への合意が必要であるとの強いコンセンサスがすでに形成されていた」。
02/23 屋良朝苗主席の”説得”で2・24ゼネスト回避。
米国務省には「基地を維持するためには、施政権返還を早急に進めるほかない」という考えに拍車。
03/10 参院予算委員会で佐藤首相、沖縄返還について”核抜き本土並み”方針採択を表明。
05/28 米国家安全保障会議「メモランダム13号」
@われわれは、米軍の使用にとって必要不可欠な点に関して、1969年中に合意に達し、かつその時点までに細部の交渉が完了することを条件に、1972年の返還に同意する。
A軍事基地の通常の使用が、特に朝鮮、台湾、ベトナムとの関係において最大限自由であることを希望する。
Bわれわれは、沖縄にある核兵器を保持したいと希望する。ただし、沖縄返還交渉の他の分野で満足のいく形で合意に達するならば、大統領は交渉の最終段階で、緊急時における核の貯蔵と通過の権利を保持することを条件に核兵器の撤去を考慮する用意がある。
C沖縄に関する他の日本のコミットメント(財政、経済、防衛など)を追求する。


付属文書
「(米国は核兵器の重要性を強調することで)通常兵器の自由使用をめぐる駆け引きにおいて、有利な立場を獲得すべきである。核兵器については、最終的には、緊急時の貯蔵に焦点を当てるべきである」。
06/XX 米関係省庁東アジアグループが財政問題ワーキンググループ構成、
バーネット国務次官補座長に交渉のガイドライン作成。
@ドルから円への通貨交換に当たって、日本政府にドルを獲得させるようなことはさせてはならない。米国はいかなる負担も被らない。
A日本政府に移行される施設や資産については、米国政府への公正な補償が行われなければならない。
B米国は沖縄に対する各種の援助など過去の政府支出について日本が補償するよう求める。
C米国は返還に伴い必要となる代替施設の負担を日本政府に要求する。
D沖縄の米民間会社は、日本の国際法で規制されるが、権限委譲の移行期間には、いくらかの自由が保障されるべき。
07/XX 「沖縄返還−省庁間調整のケーススタディ」
ニクソン政権、新政権の国家安全保障会議で沖縄返還交渉のオプションを検討し、「メモランダム5号」「メモランダム13号」決める。

米側交渉団に向け国家安全保障会議日本担当のリチャード・B・フィンが「交渉戦略文書」提出。交渉の基本路線定める。

<基本戦略文書>
米側が欲する主要な軍事的権利つまり核兵器および通常使用、ならびに財政および防衛義務などの日本によるコミットメントに照準を合わせる。われわれの目的は、大統領と佐藤首相が11月に会談するまでにこれらの了解を定式化し、合意を獲得することである。・・・日本との交渉に際して、我々が手にしている主要な切り札は次の3点である。
@日本政府は、米国との間に深刻な摩擦を起こしてまで、返還問題について強行することを躊躇するだろう。
A返還条件が日本国民の目から心地よいとされれば、日本の保守勢力特に佐藤派にとっては、大きな政治的得点となるだろう。
B核兵器撤去の可能性について交渉の大詰めの段階で、前向きに検討する姿勢を米国が示すことは、駆け引き上、かなりのテコとなる。
一方、日本側も悪くない切り札を持っている。米国が日本との同盟関係を維持したいと願っていること、そして日本国内と沖縄からの返還要求圧力は強く、またその取り扱いには注意深さが必要であるということである。
09/XX 福田大蔵大臣-ケネディ米財務長官 ワシントン会談で財政問題交渉始まる。
10/XX 柏木雄介大蔵財務官-ジューリック財務省特別補佐官の高級事務レベル協議。

・米資産買い取り協議
米の資産建設の資金源となった経済援助(ガリオア、ARI、RIA、ARIA他)総額3億3587万ドルすべての資産継承要求に、日本側は沖縄ではこれらが行政費として投じられたものとして買い取り拒否。
交渉結果はガリオア(1億8500万ドル)除き買い取り。残りは1億5000万ドルのはずだが、決着額は1億7500万ドルと2500万ドルをおまけ


・琉球政府の財政赤字負担
日本側の財政赤字の責任は米民政府の責任で継承義務なしを主張するが米側は、資産買い取りでガリオア分をおまけしたのだから日本が負担すべき。
結局日本側泣き寝入り。


・沖縄に持ち込まれた米ドルを円に交換すると、沖縄で流通していたドルの分だけ、米は国際収支上赤字となる。日本はすでに海外に転出したドルとして無視できると主張したが、米は聞き入れず、1億1200万ドルを預金の形で凍結することにした。
11/10 問題とされていない密約 根拠のないグロス計算合意

柏木-ジューリック秘密合意 総額6億8500万ドル(現在の3兆円程度)
@民生用資産買い取り 1億7500万ドル
A返還に伴う基地移転及びその他経費 2億ドル
B通貨交換後の預金による供与 1億1200万ドル

C基地従業員の社会保障費 3000万ドル
D琉球銀行株式、石油施設売却益など 1億6800万ドル

沖縄の金での買い戻しの批判おそれ、合意内容は共同声明に盛り込まず覚書交換で処理された。とくに、上記@-Bは実質上根拠のない金額で、その内訳巡り後に議論となる。
11/12 財政問題の柏木-ジューリック秘密合意を福田大蔵大臣-ケネディ米財務長官口頭合意。
11/14 「沖縄返還−省庁間調整のケーススタディ」

ロジャーズ国務長官のホワイトハウス宛秘密覚え書き

「共同声明などに用いられた文言は、日本本土に関係する協定の明確なアドバンスを示したものとなり、佐藤首相は韓国、台湾、およびベトナムについて国内政治上のリスクを負うことになった」「日本の保証は”鉄壁”でないにせよ、日本本土における基地に関する既存の保証に比べればはるかに進んでおり、適切である」。
11/21 佐藤・ニクソン首脳会談で日米共同声明。1972年、核抜き本土並みでの沖縄の施政権返還で合意。
第3の密約 
沖縄返還時の有事の核再持ち込み密約

当時既に佐藤首相は非核三原則を国是と表明していた。返還は”核抜き”ではなかった。

この合意の際に同時に「ニクソン米合衆国大統領と佐藤日本国総理大臣との間の共同声明についての合議議事録」(極秘)が取り交わされた。(若林敬「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」


米合衆国大統領
われわれの共同声明に述べてあるごとく、沖縄の施政権が実際に日本国に返還されるときまでに、沖縄からすべての核兵器を撤去することが米国政府の意図である。そして、それ以後においては、この共同声明に述べてあるごとく、米日間の相互協力及び安全保障条約、並びにこれに関連する諸取り決めが、沖縄に適用されることになる。
しかしながら、日本を含む極東諸国の防衛のため米国が負っている国際的義務を効果的に遂行するために、重大な緊急事態が生じた際には、米国政府は、日本国政府と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び、沖縄を通過する権利が認められていることを必要とするであろう。かかる事前協議においては、米国政府は好意的回答を期待するこのである。さらに米国政府は、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態を維持しておき、重大な緊急事態が生じた時には活用できることを必要とする。
日本国総理大臣

日本国政府は大統領が述べた前記の重大な緊急事態が生じた際における米国政府の必要を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたすであろう。
第2の密約の拡張
沖縄の基地を始めすべての在日米軍基地の、当面はアジア地域でのあらゆる戦争に使用できる”自由使用”

文書での取り決めを回避し、佐藤首相の公式声明による、もっぱら台湾・朝鮮半島・ベトナムでの戦闘への米軍の基地使用を認定。

こうして、日米安保の極東条項からはずれる地域での戦闘行動について、「事前協議」すれば、全く自由に、沖縄だけでなく全土の在日米軍基地を利用できる「本土並み」のレベルの引き上げが行われた。
12/02 柏木-ジューリック、財政問題で了解覚書交換行い、秘密合意成立。
1970   財政問題で細目調整が日米間で始まる。

Bはもともと秘密裏に処理され、現在もどこに行ったのか分からない。@+A=3億7500万ドル。これを国内向きには3億ドルだと公表し、のこり7500億ドルは協定外で支払う約束を秘密裏にむすぶ(厳密には後払い)。のこり3億ドルが対米財政問題として国民に公表された。そしてその内訳が練り直された。最初から積算で計算されたのではなく、グロスの話しだった。

さらに米国から軍用地の返還に即しての原状回復とVOA(Voice of America)の移転費用の追加が要請され、グロスの金額は3億2000万ドルにふくらんだ。これをもっともらしい内訳で発表することになった。

・日本側発表 3億ドルの内訳
資産の買い取り費 1億7500万ドル
返還に伴う基地従業員の人件費増加 7500万ドル
核兵器撤去費 7000万ドル

こうして嘘の内訳発表が
 1971   問題とされていない密約 基地移転費用の隠し予算
隠された7500万ドルで、那覇空港の米軍基地部分の移設費用として、返還後5年にわたり”基地施設改善費”として物品と労務で提供。

この基地建設支援費用は、この5年が終わった1978年からは在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)として基地建設や従業員雇用に日本側が予算的裏付けを行う体制ができあがった。
06/03 那覇空港の米軍基地移転費用の日本側負担合意
山中貞則総理府総務長官(故人)とキッシンジャー米大統領補佐官(国家安全保障担当、当時)との会談で、日本側、米空軍基地だった那覇空港の基地移転費用を日本政府が負担する用意伝達。


米側、日本に移転費支払い要求。
実際に日本負担でP3対潜哨戒機は嘉手納基地に、住宅はキャンプ桑江と牧港補給基地に移転。
06/11 第4の密約 VOA移転費用の肩代わり
既存の米軍施設のしかも将来の海外移転の費用を肩代わりすることを秘匿。

沖縄返還協定では一切ふれずに、1600万ドルを日本が負担することで密約。
外務省:吉野文六米局長−リチャード・スナイダー駐日米公使による秘密合意。
06/12 第4の密約 原状回復補償
基地の返還に際し原状復旧は米国の責任だが、日本がこれを負担。

協定では米国が負担することになったと記載し、実際は3億2000万ドルのグロスの中に400万ドルを計上。
外務省:吉野文六米局長−リチャード・スナイダー駐日米公使による秘密合意。

1972 01/08 サンクレメンテ密約
那覇空港返還に際し、米海軍が使用していたP-3対潜哨戒機部隊の移駐先について日本政府側は「本土でなく沖縄のどこか」を要請。
福田赳夫外相(当時)がロジャーズ国務長官に「P-3が岩国や三沢の移転されると政治問題を引き起こす」「日本本土でなく沖縄の別の基地に移転」を要請。
1996年8月21日、米公文書で発覚。
  日米両政府、1973年の米海軍による空母ミッドウェーの横須賀配備にあたり、核兵器を搭載したままでの入港・停泊を日米安保条約の事前協議の対象外にすることで合意。ミッドウェー横須賀配備前の72年、大平正芳外相(当時)とジョンソン米国務次官(同)との会談などで、60年の第1の密約(核持ち込み密約)の有効性を再確認し、「寄港」とともに母港化よる長期「停泊」の場合にも適用することで合意。
04/04 毎日新聞西山大吉記者と女性外務事務官、沖縄返還密約めぐる機密電文受け渡しで国家公務員法違反容疑で逮捕。
04/15 沖縄密約の西山大吉毎日新聞記者と女性外務事務官起訴。
 05/15 沖縄施政権日本返還。
東京地裁、沖縄密約の西山大吉記者に無罪判決。女性外務事務官有罪ながら控訴せず。
1974 01/31 東京高裁、西山大吉元記者に逆転有罪。
1996 08/21 沖縄復帰時、那覇空港の返還にあたり、米海軍のP-3を県内で移駐するよう福田外相がロジャーズ国務長官に要請したサンクレメンテ密約(1971年1月8日)が米公文書で発覚。
1978 05/XX 最高裁、西山大吉元記者の上告棄却。有罪確定。
1999   60年安保時の核艦船寄港と朝鮮半島有事時の米軍の日本所在基地使用に事前通告を必要としない密約の存在を示す、1960年6月のハーター国務長官向け説明資料である国務省北東アジア部の「議会用説明資料集(コングレッショナル・ブリーフィング・ブック)」ファイルが米公文書館で見つかる。
06/XX 大蔵省財政史室「昭和財政史」で沖縄施政権返還時の米資産買い取り交渉の概要公表。
2000 05/29 米国の秘密文書でVOA移転費の肩代わりが明らかに。朝日すっぱ抜く。
2007 04/09 沖縄返還交渉での密約を取材し国家公務員法違反で有罪判決を受けた西山太吉(75)さんの米側公文書によって事実が判明した沖縄密約の否定続ける政府への名誉毀損訴えた訴訟、一審敗訴不服と控訴。
10/07 沖縄返還交渉での有事時の米軍の核持込み容認(第3の密約)示す米政府公文書見つかる。
・1969年11月の沖縄の施政権返還合意日米首脳会談に向けてキッシンジャー米大統領補佐官からニクソン大統領にあてたメモ。
・1969年11月12日付メモは「沖縄返還後の米国の核持ち込みと繊維問題に関する日本政府との秘密交渉」と題し秘密合意の存在示す。
・1969年11月13日付メモは佐藤首相の密使若泉敬京産大教授の暗号名「ヨシダ」が登場、「昨日午後、私とヨシダ氏が最終的な協議で行動計画は合意に至った」。
・信夫隆司日大教授発見。2005年に機密指定解除さた文書から。
2009 09/XX 岡田外相、密約の存在調査を指示。
@1960年の日米安全保障条約改定時の核持ち込み
A朝鮮半島有事の際の在日米軍基地使用
B1972年の沖縄返還を受けた有事の際の沖縄への核持ち込み
C沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わり
11/18 岡田外相、密約調査報告11月に受け、調査最終報告公表時期は年明けと表明。
11/24 岡田外相、核艦艇、核兵器搭載航空機の通過・寄港認める第1の密約について存在を認める方針表明。外務省の内部調査で密約裏付ける日本側文書発見と。
12/04 藤井財務大臣、第4の密約である沖縄返還時の米軍基地原状回復費用の日本の肩代わり密約について財務省の調査開始を表明。柏木・ジューリック了解覚書の実態調査。
12/01 沖縄密約関連日本側文書開示求める裁判(東京地裁)で、旧軍用地の原状回復費(400万ドル)とVOA施設移転費(1600万ドル)について、当時の対米交渉当事者の吉野文六・元外務省アメリカ局長(91)が原告側証人として密約文書を取り交わしたと証言。
12/08 沖縄返還時の米軍基地原状復旧費用(400万ドル)肩代わり密約(第4の密約)で元運輸大臣で当時の大蔵省法規課長補佐だった森田一元さんが、外務省から外務大臣了解の下に米の議会通過困難を理由に日本側負担とすると説明を受けたことを証言。毎日新聞。
12/09 核搭載艦艇・航空機の通過・寄港は核持ち込みに当たらないとする日米密約(第1の密約)について、外務省、”核兵器の領海通過はないので””実効性を失っている”と密約報告のとりまとめ意向。
12/10 60年安保改訂時の朝鮮半島有事時の米軍の核含む基地自由使用密約文書発見。外務省。
藤山愛一郎外相−マッカーサー駐日米大使「討論記録」草稿。交換文書は破棄の可能性と発表。
12/12 沖縄の施政権返還時、返還米軍基地の原状復旧費400万ドルの日本側肩代わり密約について、外務省の内部調査で文書見つからず。外務省、密約文書破棄の可能性。
12/22 第3の密約、沖縄返還交渉時の佐藤首相とニクソン大統領間の有事時の核持ち込み密約の文書、佐藤首相遺族による保管判明。読売新聞入手。

読売新聞による翻訳
極秘

 1969年11月21日発表のニクソン米大統領と日本の佐藤首相による共同声明に関する合意議事録

 米国大統領

 我々の共同声明にあるように、沖縄の施政権が実際に日本に返還されるまでに、沖縄からすべての核兵器を撤去するのが米国政府の意図である。それ以降は、共同声明で述べているように、日米安全保障条約、および関連する諸取り決めが沖縄に適用される。

 しかし、日本を含む極東諸国の防衛のため米国が負う国際的責任を効果的に遂行するため重大な緊急事態に際して米国政府は日本政府との事前協議の上、沖縄に核兵器を再び持ち込み、通過させる権利が必要となるだろう。米国政府は好意的な回答を期待する。米国政府はまた、現存の核兵器貯蔵地である沖縄の嘉手納、那覇、辺野古、ナイキ・ハーキュリーズ基地をいつでも使用できるよう維持し、重大な緊急事態の際に活用することが必要となる。

 極秘

 日本国首相

 日本政府は、大統領が上で述べた重大な緊急事態に際し、米国政府が必要とすることを理解し、そのような事前協議が行われた場合、遅滞なくこれらの必要を満たすだろう。大統領と首相は、この議事録を2通作成し、大統領と首相官邸にのみ保管し、米大統領と日本国首相との間でのみ、最大の注意を払って極秘に取り扱うべきものとすることで合意した。

 1969年11月19日

 ワシントンDCにて

 リチャード・ニクソン

 エイサク・サトウ
12/27 1972年のミッドウェー横須賀母港化めぐる核持込事前協議省略合意、外務省の内部調査で発覚。
2010 01/22

米軍核搭載艦船の日本への通過・寄港が日米安保条約での「事前協議」の対象外とする核密約で、60年1月19日の安保改定交渉で当時の山田久外務事務次官が通過・寄港が事前協議の対象外だったと断言しながら、国会対策上事前協議の対象だとうその答弁を行っていたと証言する録音テープ発見。

02/16 沖縄返還密約開示求める「沖縄密約文書開示請求訴訟」結審。4/9判決。
02/18 1970年の米議会議事録に、米軍が年間270日間の東富士演習場の優先使用権持つとの記載発見。政府が否定してきたものの、存在が指摘されてきた優先使用めぐる秘密協定の存在裏付け。
02/24 外務省有識者委員会の日米両政府間密約調査で、
@)60年安全改定時の朝鮮半島有事での在日米軍基地使用
A72年沖縄返還時の有事の際の沖縄への核再配備
密約の存在認定の方針。”核搭載艦艇・航空機の領土通過は核持ち込みでない”とする合意はなかったとする方針。


但し、認定する2つの密約はすでに失効したという認識も示す。@は97年の新ガイドラインで在日米軍基地からの米軍出撃は事前協議必要と合意したことによって、Aは92年にブッシュ大統領が艦船や潜水艦からの戦術核兵器の撤去完了を表明し米国が核戦略を転換したことで核の再配備の可能性がなくなったことを理由に。
03/05 沖縄返還時に米に総額6億8500万ドル(現在の3兆円程度)支払うとした1969年11月10日の柏木-ジューリック秘密合意で新たな証拠。1億1200万ドルの利子供与の元本6000万ドルを米連邦準備銀行に預金した実績発見。財務省。
(単位:億ドル) 沖縄返還協定
(日本政府認定)
米公文書 既解明分
総額 3.20 5.17 6.85
米資産買取費 1.75 1.75 1.75
人件費増加分 0.75 0.62 0.30
その他 核撤去費
0.70
土地の原状回復
0.04
返還に伴う基地移転のその他経費
2.00
VOA移転費
0.16
基地施設改善移転費
0.65
労務管理費
0.1
その他
0.58
通貨交換元本6000万ドルの25年間の運用益供与 NA 1.12 1.12
03/09 外務省の密約調査有識者委員会、報告書を岡田外相に提出。
岡田外相、歴代政権の核持ち込みはなかったとする見解を修正し、「可能性は排除できない」と表明。
なお、”狭義の密約”は合意文書による秘密の取り決め、”広義の密約”は文書がなくても暗黙の合意があるもの。
・60年安保改訂時の核搭載艦船の寄港・通過を事前協議の対象外とする暗黙の合意あり”広義の密約”。
・60年安保改訂時の朝鮮半島有事時の在日米軍の自由出撃は合意文書に基づく”狭義の密約”。
・72年沖縄返還時の原状回復補償費肩代わりは”広義の密約”。
・72年沖縄返還時の沖縄への核再配備容認は佐藤首相の個人的資料として存在するが公的文書や継承性確認できず密約認定せず。
04/02 砂川事件めぐる日米協議関連秘密文書を外務省が開示。これまで外務省は存在しないとしてきた。
すでに米公文書で(1)伊達判決後、マッカーサー駐日米大使(当時)が藤山愛一郎外相(当時)に控訴経ず上告する「跳躍上告」を勧告(2)マッカーサー大使と田中耕太郎最高裁長官(当時)が上告審実施時期巡り密談実施の事実判明。このうち(1)に関する外務省側資料を開示。
04/09 沖縄返還交渉巡る密約開示求める裁判で、西山大吉さんら原告全面勝訴。東京地裁杉原則彦裁判長、3密約7文書の密約の存在認めその開示認める。
@米国返還軍用地原状回復費400万ドルの肩代わり
AVOA(米国短波放送)国外移設費1600万ドルの肩代わり
B日本の米国預金金利など沖縄返還協定めぐる3億2000万ドルの日本側負担
岡田克也外相、「沖縄密約」開示の東京地裁判決に「密約文書」なく控訴検討表明。
鳩山由紀夫首相も「新政権は密約オープンのスタンス」「国にとって厳しい」。
04/13 公務外米軍犯罪第一次裁判権放棄の日本側密約文書、外務省で発見。
1958/10/4の岸信介首相、藤山愛一郎外相、マッカーサー駐日米大使らの日米安保改定交渉時の会議録。1953/10/28の日米合同委員会刑事裁判権分科委員会の合意議事録に触れ、公務外の米軍犯罪について日本側が「裁判権の行使を譲る趣旨が記載されている」と言及し、マッカーサー大使は議会対策上「公にして差し支えないならはなはだ好都合だ」と述べる。
06/16 NHKスペシャルで「沖縄返還密使・若泉敬」放映。雑感
11/26 1961年、米軍の中距離核ミサイルのメースB配備の際、小坂善太郎外相がラスク米国務長官に核兵器持ち込み発表の制止要請。いちいち「発表されると、なぜとめないかといって日本政府が責められる」。外務省の外交文書公開で。
2011 02/18 沖縄返還交渉時、1969年10月22日に米政府高官が吉野文六駐米特命全権公使にケネディ財務長官とレアード国防長官した対日要求として沖縄返還の補償として6.5億ドルを要求し、その口実作りまで支援すると提案していたことが判明。公開された下田武三駐米大使が愛知揆一外相に送った公電で。
日本側が米軍基地存続を前提に施政権の返還の検討を求め交渉入りを米に要請していた。1967年7月15日に三木武夫外相がジョンソン駐日米大使に手渡した覚え書きを外務省が公表。
佐藤栄作首相、1965年8月20日の沖縄訪問時にデモ隊の抗議を受けた際、ワトソン米高等弁務官との会談で「沖縄に行けば、石くらい投げられるのは覚悟の上」と発言。18日公開の外交文書で。
沖縄返還交渉目指す1967年7月17日の外務省の枝村純郎北米課長に在日米大使館のザヘーレン参事官が「日本が強く決意すれば、米軍基地の完全撤去にせよ、基地付きの沖縄返還にせよ、何でも米側にのませ得るはずだ」と発言。18日公開の外交文書で。
08/26 米軍犯罪の米軍側一次裁判権も密約。公開の外交文書で分かる。
1953年の日米地位協定の前身である行政協定の改定交渉で、日本政府が「重要な案件以外、裁判権を放棄する」と米側に表明。合意ではないが非公開で合意。
09/29 沖縄密約文書開示裁判控訴審、1審東京地裁の開示命じる判決取り消し、開示請求を棄却。東京高裁青柳馨裁判長。
「政府は密約を一貫して否定しており、外務、財務両省には文書を秘匿する意図が強く働いていた」
「(1999年情報公開法制定控え)秘密裏に廃棄した可能性を否定できない」
「(民主党政権下で探しても発見できなかったので)文書を保有していると認める証拠はない」
参考 「沖縄密約」 西山太吉 岩波新書
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