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岩国に吹いた風 |
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-米軍再編・市民と共にたたかう- |
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岩国前市長 井原勝介 著 |
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高文研 \1800 |
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著者紹介 井原勝介
1950年生まれ。東大法学部を卒業後、労働省に入る。タイの日本人大使館勤務や大臣秘書官なども務めるが、直接市民と共に民主的な社会を築く政治の世界への思いに駆られ、99年、郷里の岩国市長選に出て当選、06年には米軍再編をめぐって住民投票を実施、その結果を踏まえて反対を貫いてきたが、建築途上の新市庁舎の補助金を国に打ち切られた上、米軍再編容認の議会と対立、くり返し予算案を否決され辞職。08年2月の市長選で敗れた。その後「草の根ネットワーク岩国」を設立。新たな政治の学び舎「草莽塾」を主宰する。 |
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拝啓。
友人から一冊の本が届きました。前岩国市長の井原勝介さんが書き下ろされた「岩国に吹いた風」という本です。苦手な感想文でご紹介に代えたいと思います。
2005年10月の日米安保協議委員会の中間報告によって日米軍事再編の大舞台に引きずり出された地域は、その負担の受け入れに否と言おうが応と言おうが、ときの政権が”防衛は国の専管事項”だとしてふるまう専横にさらされてきました。これら地域の人々はその中で自分たちの地域のあるべき未来を模索しつづけなければなりませんでした。イラク戦争の遂行のために企てられた日米軍事再編は、ブッシュ米大統領とラムズフェルド米国防長官、小泉・安部・福田・麻生自民継投政権という人々が表舞台からの退場を命じた人々によって編み出されたものでありながら、日米で政権交代が起こった今日なお、その実現にむけた専横が変わることなく続いています。為政者の専横にはしなやかになびき、見返りをより多く求める選択もあれば、これ以上の負担には耐えられないと言うべきことを述べてその実現を目指す選択もあります。その意味では、名護市の島袋市長と岩国市の井原前市長とは、旧自民党政権幹部や守屋武昌前防衛事務次官ら防衛官僚からの締め上げにあい、”苦汁の選択”を強いられた自治体の首長として、新旧のタイプの代表的存在だと言えそうです。
中間報告発表後の岩国は全国から一斉に注目を浴びることになりました。横須賀を母港とする空母艦載機の地上設備を提供してきた厚木飛行場の機能を、海兵隊の固定翼戦闘機の基地となっている岩国に移設するという発表は日米軍事再編の中でも、降ってわいたような驚きを世に与えたのでした。井原岩国市長(当時)は、即座に地元との協議もない頭越しの国同士の決定は容認できないと表明、6月23日には岩国市議会が移設反対決議を全会一致で可決し、二井山口県知事も岩国基地の今以上の機能の強化は容認できないと表明したのでした。
井原市長は住民投票によって住民の意志を問うことを提案しましたが、国は日米軍事再編推進のために全ゆる方向から手をまわしはじめます。すでに翌2006年2月には岩国市議会、二井山口県知事、町村合併控えた玖珂7町村首長たちは反対を表明します。あろうことか、その地域に何の責任をも負えないはずの橋本大阪府知事まで”国防という国の専管事項に口出しするな”と批判を投げかけたのでした。2月7日に井原市長が市民投票の発議を行うや、たちまち「市民投票に反対する会」が組織されボイコット運動が繰り広げられたのでした。けれども3月12日に実施された住民投票では、これら妨害にもかかわらず住民投票の成立条件である有効投票率50%という困難な条件をはねのけ、投票率58.8%、受け入れ反対87%という岩国市の有権者の過半数が受け入れ反対を表明する結果となったのでした。防衛省はことさらにこの結果を無視しようとしましたが、3月20日の岩国市と玖珂郡7町村との合併後の新岩国市長選挙でも井原市長が選出され、住民投票は再び信任されたのでした。
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2006年5月1日、日米安保協議委員会は最終報告に合意し、岩国への空母艦載機のスーパーホーネットなど57機とC-2輸送機の計59機、人員1900人と家族1700人の移設を2014年までに実施すると発表されました。これと同時に国は全方面に手をまわします。まずは山口県を使った揺動作戦が始まりました。山口県は赤字を理由に、8月2日、岩国基地の沖合移動の土砂を採取し、同時にそこを住宅地として造成するとしてきた「愛宕山開発事業」の打ち切りを一方的に岩国市に打診します。11月にはその赤字額を250億円とはじき出し、放置すれば490億円にふくらむと即断を迫ります。国は愛宕山に米軍住宅を建設するとして赤字の負担の受け入れに合意するや山口県は岩国市に売却実現のために艦載機受け入れを認めるよう要請を繰り返します。また山口県が県民の悲願だと主張する岩国飛行場の軍民共用を巡っても、その条件として国が挙げる艦載機受け入れを岩国市に執拗に要請します。まさにすべての道はローマに通じるです。応じない井原市長に業を煮やした県側は「容認でなくていいから、”やむおえない”と言ってくれ」「裏でいいから国と手を握ってくれ」などと詰め寄ったといいます。挙げ句の果てに、山口県は艦載機の受け入れとな何ら関係のない道路建設などの公共工事の中断にまで踏み込み、「協力しなければ岩国関連のすべての事業を止めるぞ」とまで圧力をかけ続けたそうです。
そして、極めつけの一手は2006年も押し詰まった12月19日に打たれました。広島防衛施設局長が岩国市役所を訪れ、新庁舎建設補助の35億円をカットすると伝えたのでした。国はついに交付金カットという兵糧責めに打って出たのでした。市議会は直後の26日、約束を破る国に批判をむけるどころか、艦載機受け入れを認めない井原市長に「市長の責任を問う決議」を採択したのでした。そもそも新庁舎建設の補助金はSACOの最終報告に従って岩国市が受け入れた普天間基地の空中給油機能の見返りとして交付が決まったもので、事実上政府は49億円の予算の裏付けを与えたのでした。ところが、この空中給油機能が日米軍事再編に盛り込まれたことを理由に、国は艦載機受け入れとパッケージ化し、今度は艦載機の受け入れを金で強要し始めたのでした。建設が進みながら、支払う金がないという事態が目前に迫っていました。井原市長はその金の工面を合併特例債で補填する予算案を市議会に提出しました。けれども、3月23日市議会は予算案を否決。6月26日にも再度否決。市議会は予算案を人質に市長の艦載機受け入れを強要し続けたのでした。多くの心ある人々は兵糧責めに会う岩国市に新庁舎建設支援のカンパを集中したと言います。一気呵成の防衛省の役人は資金繰りに悩む井原市長をこっそりホテルに呼びつけ、「容認」でなくていいから「やむおえない」と言ってされくれれば、「今後反対はしない」と言ってさえくれれば補助金は出すと悪魔のささやきを繰り返します。これら甘言を受け入れないまま迎えた10月31日にも予算案は否決。そして11月16日にも否決。井原市長の支払いの工面の道は市議会がことごとく断ち切っていったのでした。12月26日、井原市長は市議会を相手に自らの辞職を引き替えに市民投票で示された市民の意志を救うことを訴え、合併特例債での予算通過を要請しましたが市議会は拒否したのでした。そして井原市長は28日をもって退職を余儀なくされたのでした。
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2008年があけて実施された岩国市長選挙では当時現職の自民党国会議員を辞して立候補した候補が井原前市長を抑えて当選することになりました。”艦載機を受け入れなければ被るであろう岩国市の不利益”についての聞くにも耐えない欺瞞に満ちた流言飛語が飛び交う不穏な雰囲気が選挙を支配したと聞きます。現市長が当選するや兵糧責めに使われた35億円の新庁舎建設費用は事実上の即日交付され、岩国飛行場の軍民共用も日程に上り、巨大な負債を抱えた愛宕山開発も国が買い取ることでしょう。けれども、60機近くの戦闘機が押し寄せ、夜間離発着訓練を含む演習を受け入れ、愛宕山という民間の居住区域に米軍住宅という”基地”を建設する見返りとしてふさわしい決断なのかは、仮に移設が実施されれば、たちまちのうちに明らかになることでしょう。
けれども、井原前市長とともに艦載機受け入れを拒否してきた岩国の地域住民は、この国の振る舞いを決して許していません。彼らは新市政のもとでただちに4つの訴訟を提起しました。
「県知事の埋立承認取り消し」行政訴訟。岩国飛行場の沖合移動は騒音の軽減を目的として山口県知事が公有水面埋立承認したもので、米軍再編の受け皿であれば本来の目的からはずれる。
「愛宕山地域開発に係わる市長協議報告書」の岩国市長の非開示決定取り消し訴訟。愛宕山跡地への米軍住宅建設を岩国飛行場の軍民共用を国と取引した事実を記載した文書の岩国市長による非開示取り消し求める。
国交省の愛宕山開発事業認可取消の取消請求訴訟。「用途を決めずに国に買い取り」としているが遅くとも2008年春には米軍住宅化が明らかになっており、山口県の土地計画の変更と国交省に認可取消には重大な瑕疵。
岩国爆音訴訟。これ以上の騒音には到底耐えられないとして、市民470人あまりが原告となり、損害賠償と飛行差し止め、空母艦載機部隊の移駐の差し止めを求める。
2008年初頭の市長選挙で敗北し、立ち上がれないほどに打ちのめされたという井原前市長は、ある会合で「これら陸海空の全方面からの訴訟を皮切りに、市民の皆さんとともに反撃を繰り広げようと思っています」と訴えられていました。井原さんはこの本の冒頭で「私は、基地問題で国と喧嘩するために市長になったわけではない。市民の意志が尊重される真の民主主義の政治を実現したいという思いでさまざまな仕組みづくりをしていたところに、突然、米軍再編問題が起こり、それに対しても、当初の理念に基づき自然に対応しただけである。市民を守るという市長の責任に対して忠実に、納得できないことは納得できないと言い続けるだけである。私にとっては当然の行動であったが、私が自然体で行動すればするほど、国や県など既存の政治と軋轢が増していった。言いかえれば、国や県の政治が、民主主義とは名ばかりの強権的なものであることが暴露されていったとも言える」と市政レベルですら民主主義を貫く困難さを指摘していらっしゃいます。
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メディアを通じてしか見ていなくても岩国での出来事は、国による醜いまでの岩国市への締め付け、市長選直後のテレビのインタビューに出てくる人々の”噂があってねぇ”という一言が示す薄汚さ、新市長当選直後の石破防衛大臣の補助金と再編交付金の支給合意の変わり身の速さ、そのすべてに”国防は国の専管事項”を錦の御旗にした横暴に気分の悪さを覚えるほどだったことを思い出します。井原さんはこの本で、艦載機の受け入れを拒否した岩国の人々の市民投票の意志をないがしろにされ、その意志をただ一つのよりどころに国の横暴の前に立ちはだかり孤立させられ、傷ついていった自ら姿を記録し、その気持ちの整理を終え、生まれてきた基地の負担軽減と基地に頼らないまちづくりが可能なのだという市民の意識に展望を見いだして再び船出を迎えたことを宣言されました。
2009年夏の衆院総選挙は民主党が圧勝しました。その民主党はマニュフェストで「・・・米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向」を表明し、選挙期間中には普天間移設は「国外、少なくとも県外」を公言しつづけました。そして岩国基地を抱える山口2区でも民主党が議席を確保しました。にもかかわらず、民主党中心の政権は成立直後から日米軍事再編を巡って連日のように方向が変わり、閣僚間で言うことがちがい、米国の顔色をうかがう姿が日に日に強まり、この問題での変化を求めた人々の失望を招いています。その一方で、この民主党政権を生み出した多くの変化を求める人々は、総選挙以降恥ずかしげもなく「日米合意だから変えられない」と言うようになった民主党を尻目に、これ以上の基地負担は決して許さないと、その信じた道を更に力強く進んでいるように見えます。従来の補助金と公共事業さえばらまいておけばいいという政府の基地対策は、一部の土建屋首長を除いては顧みられることはなくなり、基地に依存しなくてもまちや暮らしをゆたかにしていける道を模索し始めています。市政の中で民主主義を貫くことなど幻想だという主張もあるかもしれません。けれども、今日の日米軍事再編の中断を求める人々のこの力強さを見るとき、町のど真ん中に位置し、危険極まりない普天間基地は必ずや撤去できると訴え、あの手この手をくり出す伊波宜野湾市長や、「国が言うんだから」とか「来るものは来るんだから」といって仕方ないという考えをすて「主張すべきは主張する」という井原前岩国市長など、「自分たちで変えていこう」という当たり前の方向に住民を導いて来られた自治体のリーダーたちの誕生と、彼らが市民に与えている自信と勇気の大きさに注目しないわけにはいきません。今日の時代の節目を迎えて、彼らリーダーが粘り強く訴えてきた主張は、その主張の正しさのみならず、その主張の現実性を多くの人々に感じさせるようになっているようです。
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