はじまり
yapapiがバイクに興味を持ち始めたのは高校2年生のときでした。クラスメートの男の子の知り合いにバイク乗りが何人かいて、後ろに乗せてもらった時。当時のバイクは・・・HONDA CBX400、SUZUKI GSX−R400 HB仕様車、KAWASAKI GPZ400−F、だったかな?時代を感じるなぁ・・・(^^;)。あのスピード感にすっかり魅了され、自分もいつかは乗りたいと思うようになりました。自分で免許を取るまでは自転車で我慢、と、学校帰りの坂道を
猛スピードで下ったものでした。。。(タイヤがブレーキで削られてゴムの粉がぼろぼろ出てました)
SUZUKI GEMMA
高校卒業後は大学に進学したyapapi、はじめの2年は埼玉で1人暮らしを始める予定だったので、当面の足とするため、姉が短大時代に乗っていたスクーターを持って行くことにした。というわけで春休み中に原付の免許をまず取得。なんとか一発で合格〜☆近い将来、大きなバイクに乗り換えることを前提とし、ヘルメットは最初からフルフェイスを購入するつもりだったのだが・・・近所の自転車屋さんでは「KUNOH」のヘルメットが精一杯でした(悲)。
スクーターとはいえ重量級のGemma、なおかつエンジンの付いた物を扱うのは初めてのyapapi、センタースタンドをかけるのに四苦八苦したり、スクーターなのにタチゴケしたり、慣れるまで一苦労でしたが。。。慣れてしまえば雨が降っていても買い物に通学にと乗りまくり、小平や町田まで遠出したりもしたなー。
ムボー。
免許取得大作戦(1)
大学1年の夏休みに帰省して普通自動車の免許を取得、その教習所で自動二輪も扱っていたのでそのまま自動二輪のコースへ進もうと目論むも、事前審査であっさり却下(T_T)。バイクの取り回しと、一度倒してから引き起こすという審査だったのだけど、400ccのバイクではビクともせず。。。では125ccではどうかと試しにやらされ、なんとか起こすのはできたものの小型限定免許では意味が無く、どうしても中免をと再審査をお願いしたのだけど「ダメだダメ、そんなんじゃ
免許なんかやれん!」との教官の言葉に、諦めざるを得ませんでした。その上、バイクを倒すときに、着ていたシャツのポケットにハンドルかレバーを引っ掛けた拍子にシャツが破れ、足には大きな痣まで出来(これは後から気付いた)、失意と悔しさとで泣きながら帰ったのでした・・・(T_T)
免許取得大作戦(2)
しかし中免取得を諦めきれないyapapi、夏休みが終わり埼玉に戻ると自動車学校を物色し始めた。Gemmaで通える範囲で、電車でもいける場所に一つ教習所を発見!再び事前審査の壁を越えるべく、いざ教習所へ!
受付で「自動二輪の中型限定免許を取りたいのですが」と申し込むと、受付の人が
「え?」という表情。はいはい、チビっ子で悪ぅござんしたねーだ(~_~)そんな対応にはもう飽き飽きじゃ。
チビっ子が中免取っちゃいかんのか?!しかし、事前審査をパスしないことには免許は取れないことは事実(-_-;)、次は無い、とばかり背水の陣で事前審査に臨む。問題はバイクの引き起こし。半年間Gemmaと格闘してきたyapapi、前回よりは腕力がついていたつもりだったが、今回の試験車HONDA-CBX400は重量200kg、カナリ手ごわい(>_<)・・・
案の定ビクともしないCBXに奮闘するyapapiを見かねてか、教官がいくつかアドバイスをしてくれた。それで完璧な形ではないにしてもどうにかこうにか「バイクを起こす」ことは出来、無事入校を許可していただいた!ヤッターーーー!!!
教習車はCBX400でした。停車している時左足を地面に着ける為には、尻をシートからちょっとハングオン気味にして右足プラプラ。。。発進するときはフロントブレーキを握り逆サイドにハングオン気味で右足着地のうえ左足でギヤをローに入れ。発車停車の度に尻をずらす変な体勢のまま(^^;)教習を進めることに・・・。自動車の免許を持っているので、学科や実技で多少の免除項目はあるものの、体力的&身体能力的にカナリ無理しているyapapi、第一段階で早速
2時間の教習オーバー(-_-;)・・・先が思いやられるぜ(@_@)。でもまぁ、その分たくさんバイクに乗れるからいいかなぁ、とも思ったり。
免許取得大作戦(3)
教習中は、クランクの入り口では縁石に乗り上げ、出口では立ちゴケて・・・(^^;)などなど悪戦苦闘の連続。時には
教官の足を轢いたりしたこともありましたが(笑)、ここの教官はとても優しくて、コケるといつも駆け寄ってバイクを起こしてくれました。一番楽しかったのが、外周の周回でした。教官が「4速で40キロで走れ!」なーんて言うのでついついアクセルもまわし気味に(^^)。秋晴れの空の下、髪を(教習所のジェットヘルから)なびかせて颯爽と外周を走るyapapi(←主観オンリー)。本人的にはとっても楽しくて大満足な瞬間でした。今でもその瞬間を思い出すとワクワクした気持ちがよみがえって・・・ちょっと切ない。
教習が順調に進んでいた頃、実家の祖父が無くなったとの訃報が届き、yapapiは急遽実家に帰省することになった。葬儀が終わって埼玉に戻ったからといって、すぐに教習に戻る気分にもなれず。。。でも季節は冬に向かうし、間隔を空けすぎるのも良くないので、残りの教習を再開した。(二度目の)卒検の日は寒かったような。。。
一応、なんとか卒業を果たし、年末に帰省した際に免許センターへ行って免許を更新、晴れて
自動二輪免許(中型限定)保持者になりましたぁ!!
初めてのマシン
大学2年の春休み。友人宅の近所でKUSHITANIショップを発見、念願の「KUSHITANI」の
レディス用グローブを購入!ヘルメットはとりあえず原チャリ用のフルフェイスがあったので、あとはバイクのみ!当時は土地勘も無くバイク購入のノウハウなどもほとんど知らなかったので、「上野のバイク街に行けば中古車が豊富にあるはず」と信じ、無謀にもひとりで
上野に出かけました。当時欲しかったのはYAMAHAフェザーもしくはSRX250F、SUZUKI GF250、HONDA VT250、KAWASAKI GPX250、などのわりと小柄な系統のもの。ちびっこのyapapiには
足つき性や取り回しなどが重要ポイントなので、実物を見比べて選ぶつもりだったのだが・・・想像していたよりもタマ数が少なく、選択肢は無いも同然(~_~)。。。やっと見つけた
SRX250F/light-sportsはどシロウトの目にはピカピカの極上車に見え、早々に決めてしまったのでした。バイクの色に合わせ、ヘルメットも赤のAraiに新調したぜ!
納車(というか引き取り)の日、バイトで貯めたお金とヘルメットとグローブを持ってバイク屋へ。都内の地図をコピーし、自分が通る道路をしっかりとチェックしてはきたものの、初めて走る青梅街道、新宿の車の多さ、久しぶりに乗るバイクの操作、などなど緊張の連続(@_@)・・・の割には何故か向かうのは埼玉ではなく世田谷の友人宅。そう、「(免許)取っちゃった〜!バイク買ってきちゃった〜!」がやりたくて、その日遊びに行くアポを入れていたのであった。予定時刻より送れて到着したyapapiを迎えてくれた友人は、yapapiが疲れを忘れるぐらい
吃驚してくれました。ヤッター!
(その後何軒か友人宅を巡ってから帰途に着く・・・
無謀。)
後ほど判明するのだが、センタースタンドも無ければチェーンカバーもタンデムステップも無し、タイヤは峠レーサーが良く使用するらしいTT300というとがった三角タイヤを装着していた。そんな初歩的なことがどシロウトのyapapiには全然分からず、足りないパーツを追加・スプロケットとベアリングまで交換し結構高ついてしまったのでした。しかも
事故車じゃないかって・・・ぐっすん。
初めてのバイク仲間
バイク購入後、なんとな〜く、中免を取った教習所をふらりと訪れてみた。
するとどうでしょう(←サザエさんの声で)、やはり同じ教習所で免許を取ってぶらっと遊びに来たと言うヂモティの二人組(VFR400R、FZ400)に話しかけられ、その辺の道をちょこっと案内してもらいました。
ヂモティ御用達のプチワインディングとか、やっぱ余所者には分からないもんねー。とりあえず連絡先を聞くと家もご近所で歳も同じ。知らない土地でのバイク仲間の出現に、わくわくしてくるyapapiなのでした。
愛車SRXで通学していると、学校の駐車場で時々白/ブルーのCBR250Fを見かけた。気になっていたので、持ち主と鉢合わせたところで声をかけてみた。話をしていると同い年でそのうえこの学校には珍しい1人暮らし。良く似た境遇にすぐに意気投合し、そのままyapapiのアパートに行ってランチを食べました。その後、現在に至るまで彼女との友情は続いております。う〜ん、ナイス出会い!ちなみに彼女、現在は3児の母!
先に出会ったヂモティたちは地元のバイク屋を溜まり場にしており、いつの間にか私たち女子2名も常連となる。女性ライダーはまだ少なく、彼らからしても珍しい存在だったようで、すんなりと受け入れてくれました。当時の仲間が乗っていたのは、中免しかないので見た目だけGPZ600とか、その弟で中免しかないのにCB750FUとか(その後RZ125に乗換)、高校生なのにCBR250F(もう1人の女の子と色も全く同じもの)とか、筑波でコケまくっていたノービスレーサーNSR250R、1100KATANA、VF400F、ってとこですか。yapapiのアパートは通りに面していたので、誰かがひとり遊びにくると、「あ、誰かいるいる」ってどんどん人がたまっていきました・・・気がつくとyapapiの部屋はすっかり
バイカーたちの溜まり場に(^^;)。まぁ、おかげで1人暮らしの寂しさは感じなくなったけど、試験の時期は勉強できなくてちょっと困った。
初めてのピースサイン(^^)v
正丸峠を仲間と走っていたとき。対向車線のライダーがさりげにピースを!え?あ?これが
噂の「ピースサイン」???とか思っているうちに返すタイミングを外してしまいましたが・・・嬉しくて嬉しくて舞い上がっちゃいました。
たまに、コーナリング途中のものすごいバンク角からのピースサインを見ると、ど〜やって出してるんだろう?と不思議でしょーがない。オラには真似できないッすー。
SUZUKI GF250F
どうしても乗りたかったバイク。SRX250に慣れた頃、知人が売りたいというので、近所のバイク屋で手続きをしてもらって売買したのだが。。。SRXはまだローン返済中で所有権の問題で結局元の木阿弥に(T_T)。GFのオーナーだった期間はほんの1週間ほどでした。(その間に1回タチゴケた)
タチゴケ
yapapiはタチゴケの回数は少ないんです。。。全車歴(といっても7台だけど)を通して最初の3台で1回づつ、計3回。(事故は2回(^^;))
恥ずかしかったのはガソリンスタンドでのタチゴケ。ガソリンスタンドって、わりと地面が斜めになってたり、するじゃないですかー。給油中にふっとバランスを崩し、足を着こうとしたら予想してた場所に
地面が無いっ?・・・そのままわずか約130キロの重量に耐え切れず転倒、スタンドのお兄ちゃんがあわてて起こしてくれたけど・・・ガソリンこぼれて
「も一回マンタンお願いします」。
この恥ずかしい経験は友人達に
ジオラマで度々再現され、ネタにされてました(T_T)
初めての喪失感
バイク仲間も増え、
奥多摩や秩父の正丸峠など、いろいろ走りに連れて行ってもらったりしてyapapiなりにバイクの腕を鍛えていった。その頃、仲間内で筑波サーキットでレースを始める人が増え、VF400FとRZ125に乗る友達が翌日筑波デビューする、という日に、溜まり場そのAにしていたR16沿いのファミリーレストランで壮行会(つーか単にダベってるだけ)をして、「明日頑張れよー」なんて解散した。その数時間後・・・7月5日の早朝にyapapiアパートに「事故った!」の電話が入る。こんな早朝からなに冗談言ってんの、と言いかけて真剣な口調に息が止まりそうになった。この日、R16は土砂降りで路面状況は最悪だったが、脇道から出てこようとした車がバイクに気付かずRZとクラッシュ・・・後続のVF、NSRも追突を避けようと転倒はしたものの大怪我には至らなかったそうだ。でも・・・RZが・・・・・・意識不明の重体でとりあえず病院に搬送されたとのことで、yapapiへの第一報を入れてくれたのだった。
溜まり場兼連絡中継所のような役割をしていたyapapiアパートに、連絡のついた仲間がポツポツと現れ、沈鬱な空気の中、続報を待った。が、届いたのは悲しい知らせ・・・首の骨が折れていたそうで・・・。つい数時間前まで一緒にご飯食べてたのに。ウソでしょ?・・・身近にいた健康な人間が突然いなくなる、という現実をなかなか受け入れられず、しばらく立ち直ることができなかった。
葬儀では、事故のとき一緒に走っていた仲間のいたたまれない様子が痛々しく、RZの彼女らしき女の子は泣き崩れ、喪主である父の一言「あの世でサーキットを自在に走り回っていることでしょう」というセリフに参列した一同、号泣していました。
・・・RZの兄、しばらくバイクには乗らず車オンリーだったのだけど、だいぶ経ってからバイクを再開しました。家族にも気を遣ってたんだろうな。。。
事故の後、「リベンジ」の意味を込めてNSRが筑波を攻めに行った時、RZ君の口癖だった言葉をいくつか、NSRにテープで貼って走ってもらいました。「デヒョ〜」とか「くぅぅ〜」とか、etc.。
初めてのソロツーリング
喪失感をかかえつつ、夏休みに入った。高校の同級生でも東京に出てきている連中の中で何人かはバイクに乗っていて、バイクで帰省した話を聞いていたのでyapapiもやってみることにした。電車以外での初めての帰省、
初めてのソロツーリング決行です。同級生の「4〜5時間で行けるよ」との言葉に、度胸も付き始めてきていたyapapi、軽〜く考えていて服装も軽装、荷物も小さなタンクバッグとウエストポーチのみ。地図でルートだけはしっかり確認して、周りの心配をよそに旅立ったのでした。
あ!高速道路も初めてだった。SRXは250ccとはいえボディーはギヤ付き50ccと変わらない。横を大型トラックなどが通ると風圧で流されるので、走行車線をおとなしく走った。。。当時の中央高速は岡谷ジャンクションまでしかなく、そこからはひたすら一般道を走る、走る。。。途中の下りのヘアピンで、技術不足と疲れのためほとんど
1速で直角に曲がるしかない自分の姿と、自分の後ろにできているそこはかとない渋滞に
かなり凹む。へっぴり腰でなんとか山を越え、糸井川まで出てしまえばあとはもうR8で一本道!ココまで来ればもう安心と思った矢先、雨が。。。(T_T)モチロン合羽など持っていないので文字通りパンツまでびしょ濡れのまま走ること数時間、実家近くまで来たあたりでようやく雨も上がり、服も乾き始めた。さ〜、ここで問題発生です。バイクで帰る、なんてことはおろかバイクの免許を取ったことも知らない両親の元にこのまま帰るわけには行きません。事前に連絡を取っていた友人宅に一時避難し、彼女の車で自宅に送ってもらい、「電車で帰省し駅まで迎えに来てもらった」という工作をしました。夏休みの間、バイクのことはずっとひた隠しのまま。。。
初めてのお泊りツーリング
夏休み中、帰省している同級生4人でツーリングに行くことになった。うち1名はバイクを所有しておらず免許のみだったが、3台中1台が交代でタンデム走行するというやり方で決行。男子2名女子2名だが、お互い相手を男とも女とも思っていない間柄なのでお泊りもNoProblem。五箇山から荘川を越え、ルートはすっかり忘れてしまったけど東尋坊や千里浜などを走り、無事帰宅した。yapapiのバイクは三角タイヤを装着しているせいか、五箇山の道路の接ぎ部分に敏感に反応してずりずり滑るし千里浜の波打ち際走行中もバランスが取りにくくてヒジョーに恐かった・・・。
初めての迷走
夏休みも終わりに近づき、埼玉に帰る日。帰省してきたルートとは別の道で帰ろうと思い、安房峠を通るルートを選んだのだが、途中車が少ないぞ・・・なんだかイヤな予感を抱えつつ安房の手前に差し掛かると・・・な、な、なんと今日から通行止めになってる?!マ〜ジ〜?・・・ここから今来た道を素直に戻って、帰省したルートを辿れば良かったのだが、どーしても別の道を通りたかったので地図で検討の結果、一旦R19を中津川まで南下し、それから中央高速に沿って北上し、岡谷インターから高速に乗るルートを選択。何故すぐ高速に乗らないかというと、単純にお金が無かったから(^^;)。このテキトーな選択が無謀だったと気付いたのは中津川まで南下した頃。走行中に、ジャケットから露出していた首の部分に虫がぶつかってきて、激痛が走った。バイクを停めて鏡でチェックするけど特に外傷は無いみたい・・・でも痛〜い(>_<)!!痛みが収まるまでしばし休憩しているうちにどんどん
時間が過ぎていくので無理やり出発。夜遅くなればどこかで一泊ってことになるけど
金は無し・・・かといってその辺で野宿なんてもってのほか。何が何でも今日中に帰らなきゃー!!時々道端で停まっては地図を確認し缶ジュースを飲む程度の休憩を取りつつ先を急いだが、高速に乗る頃には日も暮れていた。
単気筒エンジンの振動でハンドルを握る手が痛く、クラッチワークもアクセルワークもいっぱいいっぱい(T_T)。八王子からR16で自分のアパートに戻ったときはもうヘロヘロでそのまま寝てしまいたかったが、埼玉のバイク仲間が心配して待っていてくれていたのでとりあえず連絡を入れると、何故かそれからyapapiアパートに大集合になってしまい、結局休むこと叶わず・・・。
走行距離606キロ、走行時間約15時間、無事故で帰ってこれてよかったよ〜。
初めての事故
その年のクリスマス、特に予定も無かったし天気も良いのでその辺をふらっと走ってくることにした。ほんの散歩のつもりだったので、パジャマの上にハーフコートとジーンズを着て出かけたのだが。。。学校近くのいつもの走りなれた道を軽く流していると、前方向かって左側にある駐車場から出てこようとしている車を発見、その車のドライバーもこちらを見ているのでスピードを緩めることなく進んでいくと、ソイツが突然出てきやがった!おいおい、と、あわててブレーキをかけてはみたものの、車のどてっぱらにもろに突っ込んでしまった。
宙を舞い、地面に激突し、何度かバウンドしたyapapi。一瞬の出来事なのにそれがスローモーションに感じる、というのを身をもって体験しちゃいました。
ふと車を見ると、ドライバーのお兄ちゃんがこっち見てる。「大丈夫ですか?」と車から駆け下りてくるのを待っていると、意外なことにお兄ちゃんそのまま車を発進させた。・・・アレ?・・・もしかして
逃げ・・・るの?え?逃げられたっ?ちょっと待てー!!と、体を起こそうとするが、体が言う事を利かない!立ち上がれない!!つーか身動きできないぃ!!!そうこうしている間にも車ははるか遠くに走り去り・・・。結局、この車は検挙されること無く、yapapiはひき逃げ(当て逃げ?)の被害者ということで事件は終わりです(怒)
衝突音に吃驚して様子を見に来た人がyapapiに気付き、
「お、お兄ちゃん、大丈夫かぁ?」と声をかけてくれたんですが・・・確かに小汚いカッコしてるし、当時長かった髪はヘルメットにきっちり収まってるし、見た目は少年チックだけどさぁ・・・とか冷静に考えてたりして。救急車を呼んでくれたので感謝しとくかぁ。
あ、
初めての救急車!・・・って喜んでる場合かよ!病院へ搬送中、自分のアパートの横を通るのが分かったので、混乱した意識の中で「着替えてきたいなぁ〜」とか考えていた。そう、
コートの下はパジャマなんだよー(>_<)!!なんとかしたいんだけどー!!とか思ってるあたしって結構冷静じゃん。病院に着くと、検査のため服は病衣に着替えるのでパジャマで恥ずかしい思いをしたのは一瞬デスタ。(笑)
※これ以降、どんな近場でも外出するときはメイクまできっちり派に(~_~)
全身麻酔をかけた上での診断の結果、右肩の骨がはずれ靭帯が切れているとの事。立ち上がれなかったので腰も調べてもらったが、特に骨には異常なしとの診断で、一時的なものだろうということでした。麻酔から醒めてから、まず友達に連絡を取ってもらい、とりいそぎ病院まで来てもらった。アパートの鍵を渡して当面の着替えやなんかを持ってきてもらうのと、実家の両親への連絡をお願いした。だって動けないんだモン。あ〜あ、とうとう親にばれちゃったよ(^^;)・・・しかもこんな形でさぁ〜。サイアク(-_-;)。本人が連絡できない、なんて状況なもんだから心配するのは当然だろうけど、両親がそろって上京してくることになり、yapapi的にはそっちのが心配だよー。こんなとこまで来れるのか?という娘の心配をよそに来ちゃった両親にたっぷり叱られ(+_+)。
初めての手術
利き腕が使えない&はじめのうちは寝たきり&世話をしてくれる家族が(近くに)いない、ということで病院側から「家政婦さん」を紹介され、しばらくお世話になりました。寝たきりの間の下の世話(T_T)から体の清拭、歩けるようになってからはお風呂の介助など、ハタチのねーちゃんにとってカナリ恥ずかしい経験でした。。。
1人暮らしの身では一時帰宅も不可能のため
年末年始を病院で過ごす羽目になり、広い8人部屋で頭蓋骨の上半分を切り取ったおばあさんと年末に入院してきた盲腸の中学生と3人ぽっち。年越し蕎麦は出されたけど、お雑煮は骨によくない?とかであたらなかった。余談ですが、入院した日がX’masだったが食事を取れる状況ではなかったので、看護士さんから「本当ならケーキも配られるんだけど残念ね」と言われた。イヤイヤ、入院した事自体が残念ですから・・・(笑)。
年が明けてからも肩(靭帯)の具合が良くならないので、結局手術をすることになった。ドクターが言うには「胸のところでメスを入れる方法もありますが、若い女性なので傷が残るのもなんですし・・・肩から針金を入れて固定する方法を取ります」とのこと。手術は局所麻酔で行われ、意識はしっかりしているのでドリルで骨に穴を開ける音や骨に穴の開く妙に
香ばしい?香りもしっかり認知できる。のみならず!骨に穴の開く痛みまでしっかり感知!痛いよ〜〜!!と叫ぶと麻酔を追加で注射されたが、効いてないよ〜〜!!骨にガッツンガッツンくる
ドリルの衝撃ったらもう・・・!こんなに痛いなら
全身麻酔でお願いしますよ〜、センセ〜(T_T)

←抜いた針金。耳カキではないです。(上はマッチ)
手術後は右腕を釣った状態のままFRPの繊維で出来たギブスを巻かれた。最初は布状のものを濡らしながら、上半身をすべてぐるぐる巻いていくと、乾いたところで立派なFRP製のプロテクターの出来上がりです。肩幅広〜い(笑)。あとは数週間後に針金を抜くまで特別な処置も無いので、この状態で退院。ほぼ20日ぶりにアパートに帰り、先ず行ったのは美容院でした。髪の毛洗ってもらいに、ね。。。
モチロン、成人式なんて行けませんでした〜(泣)
懲りない女
ギブスが取れ、針金を抜く手術をした。どうやら靭帯はうまいことくっついたようで、あとはリハビリに通ってね、とのことだったが、学校の試験もあり(しかも
追試)、それどころじゃないyapapiは当面の足として
YAMAHA YSR50を友人から買い受けた。生意気にもフロントディスクブレーキの5速リターン仕様だよ(@_@)!ちょっと不自由な右腕を、左手で持ち上げてハンドルに乗せ、本人的にはリハビリにもなると言い張っていた・・・。
※リミッターカットとかしてあったはずなのに、yapapiに合わせてリミッターを復活させたりエンジン特性を低回転重視に直すなど、
「デチューン」してくれたそーです。デ、デチューン・・・って・・・。デチューン・・・・・・
初めての新車(最初で最後の新車)
YSRにも飽きて。。。というか、60キロしか出ないバイクは幹線道路を走るのに危険!ということでyapapiにとって5代目となるバイク、
YAMAHA TDR80を購入。250ccにしなかったのは金銭的問題と親への遠慮と自分自身に対するバイクの技量の不信感によるもの。このバイクで、ちょっと腕を磨けたらなぁ、という野心も少々あったわけです。体格に合っていたのか、取り回しも楽だし少々無茶もできる!チョイ乗りにももってこい、というのでTDRとはけっこう長い付き合いになりました。Uターン就職したので実家に持ち帰り、KSR80に乗る友人とミニバイクプチツーとかしてました。
初めてのマルチエンジン
TDRにも飽きて。。。というか社会人になって3年ほど経つと金銭的余裕も出来て、250ccに乗りたくなったわけです。中古車屋を何軒かまわり、最終的には足着きの良さを重視して
HONDA CBR250Rに決定!(シート高720o)納車時は自分でバイク屋に行き、そ知らぬ顔で帰宅・・・家の人には何も言ってなかったので非常に驚かれましたが、ちびっ子バイクに慣れていたせいか怒られることはありませんでした。(でも呆れていたようでした)
単気筒エンジンに慣れきっていたyapapiにとって初めての4ストマルチクォーターです。タコメーターの
異様に回転数の多い表示に恐れをなし、最初はなかなかアクセルを回せなかった(弱)。TDR80はしばらく併用していたものの全く乗らなくなってしまい、乗らないバイクは可哀想なので、「オフで遊びたい」という友人に売却です。長い間お世話になったね〜(T_T)/~~~~~
初めてのアメリカン
バイクしかない学生時代とは違い、車を持っていると自然バイクに乗る頻度が減ってきた。身近にしょっちゅう走りにいけるようなバイク仲間もおらず、バイクへの熱も少々冷め気味になり、「乗ってもらえないバイクは可哀想」だからと、CBRは売却してしまった。
それから数年、海遊びの仲間でまりあぁさんと知り合い、彼女が免許を取っている最中でバイクも購入予定だ、という話を聞き、また俄かにバイクへの情熱が湧き上がってきた。その頃、車を買い換えようと思っていたのだが、考え直してバイク購入を決意!またまた中古車屋を巡り、
HONDA MAGNA250に一目惚れ♪ほぼ衝動買い状態だったが、深く考えずさっさと契約を済ませ、
8月19日に納車がきまる。おぉ
、「バイク」の日じゃ〜ん!幸先イイ〜!

←納車当日のMagnaちゃん
今回も親には内緒で買っちゃった♪ので、納車時(バイク屋さんに家まで届けてもらった)に「これなぁに?」って顔で見てたお母さん、またまたごめんなさい・・・。
二度目の・・・
地元のバイクつながりも出来てきて、高山方面へのツーリングに誘われた。久しぶりのツーリングなので、それまでにMAGNAに慣れようと近場を走り回った。どーも初めてのアメリカンなので、ステップの位置がなかなか慣れない。足は前に!前に!
9月15日のツーリング当日、メンバーの中には教習所の教官もいてカナリ心強い。yapapiはのんびり走るので後方の位置でスタート。こんな人数での
マスツーリングは初めて☆かも。緊張しつつ、快調に走る、走る。。。
ハプニングは帰途で起こりやがった。R41の単調な山道をのらーりくらーりと走っていたのだが、登りのちょっと大きな左コーナーに差し掛かったとき、何故かMAGNAが言う事きかない・・・焦り気味に左へバンクさせようとするが、後方ミラーにもう一台のバイクが映り、ハンドルが切れないぃぃぃ!!また、一瞬の間にさまざまな考えがよぎる・・・。
『無理にハンドル切ったら後方のバイクとぶつかるかもしれないから、このまま真っ直ぐ進めばぶつからないけど、えっと対向車は〜来てないようだし、あ、あのガードレールの切れ目に突っ込んでいけばなんとかなるかもぉ〜』
時間にしてコンマ数秒の事だろうけど、そう判断したyapapiは道路の反対側へと真っ直ぐ突っ込んでいきました・・・。そこからの記憶が飛んでいて、途切れ途切れに覚えてはいるもののはっきり覚えているのは病院の処置室から。右足をバイクとガードレールの間に挟み、転倒したらしいが、友人が駆けつけたときには自力で立ち上がろうとしていたとか。その友人は看護士さんなので、その場で傷の具合をチェックしてくれたのだが・・・
「ねーやん、折れとるわ」と宣言され、「うっそ、マ〜ジ?どーやって帰ろう?誰かタンデムしてくれないかな・・・」などと冷静に考えていたのはなんとなく覚えている。
モチロン、そんな悠長な事を言っていられるような状況ではなく、救急車で病院に搬送され(二回目〜!)、全身のレントゲンと検査を行った結果、
右膝高原骨折(複雑骨折)と靭帯断裂(前十字靭帯と内側副側靭帯の2本)の診断が下り即入院となる。
半月版を損傷していて、膝小僧が半分になっちゃった(T_T)。 (膝の皿が割れた、というのを聞いた友人が、膝小僧大の小皿を見舞いに持ってきてくれたっけ・・・(笑)。)
手術が必要という事で、手術までの間は折れた骨が変に癒着しないよう足を引っ張る処置をするとのこと。具体的には右足のくるぶし付近に針金を通し、その両端に錘をつけてベッドの下に下げておくもの。その
針金通す処置が痛かったってば・・・(>_<)
※こんな感じ↓

馬の蹄鉄みたい。 |

串刺し後の痛みは感じない・・・ |
遅い時間まで病院に付き添ってくれてた友人にはとんでもなく迷惑をかけてしまい、ツーリングも台無しにしてしまい、怪我よりもそっちが痛かった・・・(T_T)。
猛省その1。
The Long 入院
骨折以外は軽い擦り傷や顔面の打撲ぐらいで、前回の事故の経験から、ギブスさえつければ即退院できると踏んでいたyapapi、甘かった・・・。
「複雑骨折」と「靭帯断裂」というのは思っていたよりも重症のようです。1ヶ月ぐらいの入院は覚悟し、取り急ぎ会社の上司や同僚にケータイでメールを入れる。yapapiは事務職で、これから先9月末から10月にかけて忙しくなるのでその辺の事を相談するためだった。そう、会社の人にも多大なる迷惑をかけてしまった・・・
猛省その2。
入院してからずっと足が錘で固定されている寝たきり娘なので、排泄などはすべて看護士さんにお任せ(>_<)。尿管を通されているので毎回屈辱的な思いはしなくていいのだけど・・・すぐそこに自分の尿パックがあるのはあんまり気持ちのいいものじゃないねぇ(-_-;)。6人部屋だし。
入院から1週間後、ようやく手術が行われた。全身麻酔なので寝て起きたらもう終わってた。4〜5時間かけて行われた手術は、執刀医からは「どこに出しても恥ずかしくない」出来らしい(よく分からない表現・・・)。ドクターから太鼓判を貰ったのでひとまず安心(^^)。
翌日から早速リハビリを開始するとのことでギブスが開かれた。当社比2倍ぐらいに腫れ上がった膝周辺に、大きく残った縫合痕・・・え?
この状態でリハビリですか?・・・車椅子に乗せられ、リハビリ室へ。リハビリ台に1人で移ることも出来ないのに、一体どうやって・・・?と怪訝なyapapi。うつ伏せに寝かされ、膝から下を曲げろという。ほんの1週間動かしていないだけなのに、足に全然力が入らない?というか、動かそうと思ってもびくともしない?・・・
今までどうやって足を曲げていたんだろう?渾身の力を込めているのに動かない足・・・別にサボっている訳でもなんでもないのにリハビリ担当のおっちゃんが容赦ない(T_T)。そうこうしているうちに傷口が破れ、血というか体液が滲んで来るし、えーん(T_T)もうイヤー(号泣)
今回の病院も、ツーリング途中だったため実家からはるか遠く、「手術が終わって傷口が塞がったら転院しましょう」ということになっていた。実際に移動したのは入院から3週間後、実家に近くなるのは嬉しかったけど、あのリハビリのおっちゃんにもう会わなくてすむのが一番嬉しかったよ。。。転院先でももちろんリハビリは続くのだけど、今度の担当は若くてやさしいお姉さん。気分的にも大分違うってーもんだ。
事故から1ヶ月、退院はおろか一時外出さえまだまだ禁止。というか
松葉杖を使って歩く段階にも入れていないらしい。右足を地面に着けることが出来るようになってから、体重のかけ方も段階的に増やしていくとのこと。先は長い・・・のね・・・。
人造人間yapapi
足以外健康なyapapiにとって、入院生活と年寄りだらけの病棟はストレスの塊。頻繁に遊びに(?)来てくれる見舞い客だけが頼りの毎日でした。ツーリングの時に持参していたデジカメで見舞い客を激写し、ヒマなときに眺めては慰められてました。(名前がうろ覚えの親類が来たときも、後で親に確認できるので重宝したぜ!)
有給休暇も消化し切り、初めての「欠勤」扱いに突入。仕事でも周りのみんなに大分迷惑をかけているし、なんとか早く退院しようとリハビリも頑張っているのに思ったように成果が出ない。ある日の回診で
「骨と筋肉が癒着していて足が曲がらない」との診断を受け、癒着をはがす為の手術を余儀なくされた。手術予定は12月12日、ドクター曰く「いちに、いちに、できっと良くなるよ」。手術後は、
「足自動動かし機(?)」を24時間稼動させ、その痛みに耐える為背中から24時間麻酔を注入し続ける。麻酔用コード、傷口からの出血用コード、尿管用コード、点滴コード・・・一時は体中から何本のコードが出てたんだろう?まるで建造中のサイボーグだね。ボルトもいっぱい埋め込まれてるし。(笑)
この手術が功を奏し、膝の曲がり具合は飛躍的に良くなった。病院でX’masケーキを食べ、年越し蕎麦も食べてからかろうじて元旦を自宅で過ごせる事に。退院も間近だよ!
自宅では、二階に部屋のあるyapapiのために、父が階段に手すりをつけておいてくれました。カンシャカンシャ・・・。
退院、そして社会復帰
リハビリがまだ残っているし、外は真冬で危険だし、もう少しいたほうが・・・というドクターを振り切り、ようやく退院!
二本松葉杖で会社へも復帰、季節は冬真っ只中だったので転ばないよう細心の注意を払いつつ通勤。電車通勤ではホームまでの階段の上り下りが大変だったため、自動車通勤に切り替えた。オートマチック車だし、慣れれば左足で操作するのもNoProblem!運転中も膝をぎゅうっと曲げて、リハビリに余念の無いyapapiでした。
入院期間約4ヶ月、
お見舞いに(遊びに?)来てくれた延べ204名の皆様、心からのご支援と励ましとスィーツ(特に多かった
栗菓子系)、ありがとうございました!
Uriuriとの出会い
その頃のyapapiは、
軟禁状態からやっと開放され、どこでもいいから
とにかく出かけたい!という心境。知り合いが運営しているサイトのMLで「新年会」をやるとの案内を見つけ、直接会った人はほとんどいないがここは勇気を奮って参加する事にした。yapapiの事故〜入退院については自分でMLに流していたので、初めて顔を合わせる人たちなのに、会場に着いたとたんに
松葉杖で正体がばれる。Uriuriは「バイク乗り」が集う「バカバイ」ページの掲示板で管理人をしており、お互い名前だけは知っていた。そこで改めて自己紹介したのだが、「ぅゎっ、でっかい人〜」、というのがUriuriに対する第一印象。(Uriuriは「ぅゎっ、ちびっこ〜」、って思ったとか。) 話をしてみると、意外と趣味が合うらしい。バイク乗りの仲間が増えて嬉しいなぁ、という日でした。
・・・いつの間にか付き合ってたのには、ビックりだ!
「バイク降ります」宣言
事故の後、実はバイク屋さんにMAGNAを回収してもらい、両親には内緒で(またかよ)、
密かに修理を済ませていた。
バイクの保管庫をレンタルし、怪我が治ったら
ライダー復帰するつもりだった。反対されるだろうけど説得すれば、と思っていた。
しかーし、右足は骨はつながったものの、靭帯は切れたまま・膝の皿も欠けたまま・正座は出来ない・激しいスポーツはできない、という状態でこれ以上の回復は見込めないようです。小走りすると
欽ちゃん走りになってしまう(笑)。努力すればまだバイクには乗れるかも知れない・・・とは思ってはみたものの、Uriuriはyapapiの復帰に反対派。「もう二度と事故を起こさない自信があるのか」という言葉に、何も言えず・・・。更には「今回の事故でどれだけの人達にどれだけの迷惑をかけたか・・・特に家族にかけた心配と迷惑のことをよく考えろ」、という言葉でようやく決心がつきました。
バイク仲間はyapapiのライダー復帰を応援してくれていたので、みんなの集まっているところで、「バイク降ります」と宣言。楽しくバイクライフを送っている仲間を見ていると羨ましくて悲しくなって・・・そうやって宣言しておかないと決心が揺らぐ気がしたので。
「バイクに乗りたきゃ俺の後ろで我慢せいや」と言ってくれたUriuri、これからもタンデムよろしく☆
今でもMAGNAを見ると「あ!yapapiの!」と言ってしまい、Uriuriにどつかれてる(笑)。
「家族でツーリング」というのが夢だった。もしディアナが将来大人になったときに「バイクに乗りたい」なんて言い出したら、・・・そのときは、
MAGNA50にでも乗ってくっついて行っちゃおうっかなぁ〜(^^)。なんて。。。あぁまたどつかれるぅ〜(>_<)
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