明治三九年、一月九日。今ではすでに教科書に載るような時代、河西常一は産声をあげた。
愛称「つねいっちゃん」。父・藤太郎、母・かね。二人兄弟の長男。弟の名は竹二郎。
明治・大正・昭和・平成の四つの時代を生きた常一ちゃんの百年。
それがどのような百年だったのか、私たちは想像するしかできない。
しかし、その百年。平々凡々だった価値ある時間が今の私の「ひいじいちゃん」をつくってくれた。
そこで今日この祝の日。まだまだ若輩者であるが、ひ孫である私が今まで聞いたエピソードを中心に、私の知らない「常一ちゃん」の姿を文におこしてみたいと思う。
その一 大八車の帰り道
明治時代。兄弟の数が二けたでも珍しくなかった時代であるが、常一ちゃんは二人兄弟であった。母・おかねさんの体が弱かったこともあり、常一ちゃんはよく家の手伝いをしたそうな。
父・藤太郎は「引き売り」をしており、もちろん常一ちゃんも手伝った。「引き売り」とは簡単に言ってしまえば、大八車に野菜たちを乗せて売る、というお仕事である。常一しゃんは坂道を、父の引く大八車を押しながら登った。筋肉がついたことだろう。
そうして「引き売り」を手伝った後、常一ちゃんには楽しみがあった。大八車に乗って帰ることだ。軽くなった大八車に乗って、下りの坂道を父に引かれて下る。常一ちゃんだって、生まれた時から、百歳のおじいちゃんだったわけではない。大八車にゆらゆらゆられて、足をぶらぶらさせながら帰る。子どもの夢である。そこには今のアスファルトも信号もない。石ころだらけで水溜りのあるでこぼこ道、野草もうっそうと生い茂る景色が流れてゆく。夕焼け空が勝手に連想され、鼻歌でも歌いたくなるような光景である。
幼い頃から働き者の常一ちゃんはそんな日常をささやかに楽しみながら、子ども時代を過していたようである。
その二 子守りの手伝いとはんてん
このように働き者の常一ちゃんであったが、嫌いなことだってあった。それはお子守りのお手伝い。一姫、二太郎、三なすび?(三は間違い)とは良く言ったものだが、そんなことも言ってはいられない子だくさんの時代。男の子がご近所の子守りの手伝いをしても、おかしいことは何もなかった。おかしいことは何もなかったのだが、働き者の常一ちゃん。お子守のお手伝いはどうやら苦手だったらしく、なかなか子守りをしに行かなかった。
子守りを頼まれていた家のおばさんが、おぶうのに楽だろうと、はんてんを縫ってくれたのだが、常一ちゃんは相変わらず、お子守が苦手だったので、やっぱりなかなかお子守に行かなかった。そのため、「お子守をしてくれんじゃあ、はんてんはけえしてもろうよ!」と、はんてんを取り上げられてしまった、なんてこともあったらしい。
その三 尋常小学校
さて、家をよく手伝った常一ちゃんであったが、学業にも励んでいた。尋常小学校での常一ちゃんの同級生は三○数人。その仲でも特に仲の良い友人「いちづれ」たちがいた。竹松さん、あだ名は「たけまっちゃん」。一緒に学校に行っていた親友である。甚一さん、あだ名は「じぎっちゃん」。勉強好き。宅次郎さんは「たくじらん」。店屋の息子であった。他にも「もんのぶさん」(盛信さん)、「くにえさん」(国平さん)などたくさんの友人に囲まれていた。
担任は金重先生。あだ名は「金だるま」であった。
常一ちゃんは毎日、「たけまっちゃん」に
「つねいっちゃ〜ん。学校いかだぁ〜。」※学校へ行こうよ。
と誘われて、学校へ行っていた。たくさんの友達と楽しく過ごした日々だった。
その四 スポーツマン常一ちゃん
そんな素晴らしい時もやがて過ぎ去り、常一ちゃんは青年になった。青年になった常一ちゃんはスポーツマンであった。幼い頃から手伝いをしていて、体力があったのだろか、特に一万メートルの長距離が得意であった。弟・竹二郎もスポーツマンで、別の年ではあったが、二人とも長距離の選手に選ばれた。常一ちゃんは県大会で見事二位に入賞し、弟・竹次郎も優勝した。兄弟揃って、スポーツマンであった。
そんなこんなで、常一ちゃんは走るのが好きだった。だから、常一ちゃんはスパイクに憧れた。今の時代なら、陸上やサッカーをやる少年達が、小遣いを貯めたり、親にねだったりして手に入れられるあのスパイクである。当時、スパイクは高級品だったのだろう。常一ちゃんの所属する青年団は、皆、お百姓さんの息子ばかりであった。スパイクを持っている者はなかなかいなかった。
それでも、全く居なかったわけではいない。一人、スパイクを持っている友人がいた。そこでみんな、足のサイズなど関係なく、そのスパイクをまわして使っていた。いやはや、物を大切にする時代である。
しかし、友人の中にはどうしても自分のスパイクが欲しいという友人もいた。その友人は親に内緒でこっそりお金を貯め、スパイクを買ったのだが、ついには親にばれてしまった。そのスパイクは、「家業に精を出せ」という親御さんの叱咤と共にごみ箱にいく羽目になってしまった。物を大切にする時代であったが、また厳しい時代でもあったのだろう。
その五 常一ちゃんの引き売り
さて、さらにたくましくなった常一ちゃんは、父に代わって引き売りに行くようになった。白根・韮崎方面によく行ったらしい。野菜を売って歩いた常一ちゃんだが、たまに変わった物を欲しがる人もいた。『どじょう』だ。
白根は、扇状地で田んぼがあまりない。そのため、どじょうが取れなかったのだ。だから、たまにはそんな風変わりな注文もあった。もちろん常一ちゃんは、自分の田んぼへ行って取って来ては、どじょうを売った。
引き売りで学んだこともたくさんあったと聞く。それはナスを売ろうとした時のことである。常一ちゃんは買って欲しかった。ナスを買って欲しかった。そこで、お世辞を言うことを思いついたのだ。売ろうとしている相手の家はお蚕さんがいる。見た雰囲気では、あまり良いお蚕さんとは言えなかった。しかし、常一ちゃんは、お蚕さんを褒めた。
「えらくいい、お蚕さんじゃんけ。」
「よく見ろし、これがいいお蚕さんけ。え。」
と、相手はすっかり不機嫌になってしまい、結局ナスは売れなかった。かえって皮肉のように聞こえてしまったのかもしれない。常一ちゃんが、お世辞を言えば良いというわけではないという教訓を得た瞬間であった。
常一ちゃんは働き者であった。当時もかなりの働き者であった。しかし、上には上がいるもので、常一ちゃんの友人の中には大変な働き者もいた。その友人は、のこぎり引きという売り方をしていた。のこぎり売りとは、一度物を売ってそのまま帰るのではなく、行った先で品物を仕入れ、帰りながらも、物を売るという売り方である。よほどの仕事量だ。現代を生きる学生の私から見れば、頭の下がる思いである。