《 知って楽しむ「文楽」談義》


歌舞伎を少しばかり齧ると、ちょいと文楽にも触れたくなる。詳しい知識はとても持ち合わせていないので、例の如くここでは雑誌「なごみ」をはじめ書物・ホームページを手引書として、誰にでも分かるようにアレンジしてみた。ご覧あれ!


はじめに


文楽は本来は、「人形浄瑠璃」と呼ばれる。それは「義太夫節(浄瑠璃)の演奏によって三人遣いの人形が演ずる日本の伝統的な演劇」だ。
三百余年前、竹本義太夫と近松門左衛門によって近世演劇の地位を確立し、歌舞伎とともに庶民の圧倒的な支持を得た。
時代が進むにつれ、その人気は衰えていったとはいえ、能楽とともにユネスコの世界無形文化遺産にも認定され、現在もその優れた芸術性で人々を魅了し続けている。


===・・・なぜ「人形浄瑠璃」が「文楽」と呼ばれるようになったのか?===


「人形浄瑠璃」は、そもそも人形芝居が江戸時代初期に三味線音楽と結びついて生まれたものだ。太夫では竹本座の竹本義太夫、作者では近松門左衛門や紀海音といった優れた才能によって花開いた。一時期は歌舞伎をしのぐ人気を誇り、歌舞伎にも影響を与えたという。
さて、その後、福内鬼外(平賀源内)により江戸浄瑠璃が発生した。18世紀末から19世紀のはじめにかけて([寛政]年間)、初世、「植村文楽軒」は、歌舞伎の人気に押されて廃れつつあった人形浄瑠璃の伝統を引き継ぎ、大阪高津橋に座をつくり再興させた。この劇場は1872年に松島に移り「文楽座」を名乗る。つまり、植村文楽軒が自らの名前をとって、明治末期にここを唯一の専門の劇場としたことから、人形浄瑠璃は「文楽」と通称されるようになった、というわけだ。

1984年には「国立文楽劇場」が完成、朝日座と改称していた「文楽座」は幕を閉じる。一時期は人材不足に悩んだ文楽界だが、1973年に研修生制度が始まってから家柄に関係なく若者が門を叩くようになり、今日に至っている。

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文楽を構成するものは? それは「三つの要素(三業)」

太夫
義太夫節の語り手。長いものでは一時間半にも及ぶ作品を、登場人物の詞(ことば)から状況・情景描写まで、すべてを一人で語る(歌うとはいわない)。文楽の舞台の方向性を決定するリーダー的役割である。江戸時代に競い合って文楽の黄金時代を築いた竹本義太夫の「竹本座」と、豊竹若太夫の「豊竹座」にちなみ、竹本・豊竹いずれかの芸姓を名のる。


三味線
義太夫の三味線は、単なる伴奏ではない。太夫を助け、義太夫節に深みを与える。一撥一撥に心を込めて、作品の情景や登場人物の喜怒哀楽を重厚・繊細な音で表現する。弦楽器でありながら、打楽器的な豪快な演奏も、義太夫三味線の特徴である。太夫も三味線も「情」を表現することが不可欠である。

人形
一体の人形を、首(かしら)と右手を担当する「主遣い(おもづかい)」、左手を担当する「左遣い」、足を担当する「足遣い」の三人で遣う。人形の大きさは100〜120センチ。義太夫節の誇張を交えた表現が木や布でできた人形に命を与え、場合によっては人間以上の表現を可能にする。修行は大変厳しく、「足遣い十年、左遣い十五年」などといわれる。



文楽の分類は?

時代物
江戸時代以前の、王朝貴族・武家などの支配層を主人公とした内容の作品群。
鎌倉・室町時代を描いたものが多いが、古くは神代、下って秀吉の頃を扱うものもある。江戸時代は政治上の理由から、当時の事件をそれ以前の歴史事件になぞらえたものが作られたが、それらも時代物という。五段の構成で書くのが原則。すべてを上演すると十時間にも及ぶが、現在は中心となる三段目・四段目だけ、独立して上演されることも多い。

世話物
江戸時代の町人社会での出来事を描く、いわば当時の現代劇。
事件直後に上演されたニュース的作品もある。「曽根崎心中」は近松門左衛門による世話物浄瑠璃の第一作で、これにより世話物が確立された。心中物が多く、この影響で世間に心中がはやったため、一時禁止されるほどであった。上中下三巻、あるいは二巻が原則で、上演は2,3時間程度。お家騒動を絡ませた「時代世話」という中間的内容の長時間作品も作られた。


上演形式は?


時代物を最初(大序、だいじょ)から最後まで通して上演することを、またその作品自体を「通し狂言」という。時代物は完全に上演すると十時間もかかるため、現在では昼夜二部に分けて、大序から四段目までの八時間程度の上演にしている。また、ストーリーのまとまりのよいところをピックアップして四時間程度で上演する「半通し」もある。
時代物の三段目・四段目や世話物の一場など、人気のある段を集めて見どころ聞きどころを多くした上演形式を「みどり」といいます。「選り取りみどり」からきた言葉だといわれている。


「切(きり)」とは?

文楽の太夫は、何人かが交替で勤める。
時代物は五段で書かれていて、一つの段の中でも後半の一番重要な部分を「切場(きりば)」と呼ぶ。特に中心となる三段目、四段目の切場は、もっとも優れた太夫が勤める。そのため、切場を担当する「切語り(きりがたり)」になるのは太夫の目標である。


人形の準備は誰がするのか?

衣装そのものは衣装部が裁断・縫製して用意する。公演前に衣装部から主遣いの手元に必要な衣装一式が届けられ、主遣いは自前の胴(人形の土台)に、衿や着物を縫いつけて人形を作り上げる。(「人形拵え」)しっかりと留めるため、布団針に四本掛けの木綿糸を通したものを用いる。最初に綿を入れた棒衿(ぼうえり)を縫い留めるが、きちんと中心が決まるように留めないと、衣装全体に狂いが出て人形がうまく遣えない。人形は背後から遣うので、人形の視線は衣装の中心線によって定まるからである。
首・衣装は劇場の所有だが、胴・手足は人形遣いの個人所有だ。他人のものでは手に馴染まず、思うとおりに遣えないといわれる。


人形はどんな構造?


文楽の人形は、桧(ひのき)を彫って作った首(かしら)と手足、それに衣装とで構成される。首は内部をくりぬいて、眼・眉・口が上下・開閉などの動きをするからくりを仕込み、表面に胡粉(ごふん)を塗る。からくりを動かすバネは、希少な背美鯨(せみくじら)のひげを薄く削ったものを使う。
衣装の中は「胴のみ」(胴板のようなもの)。「肩板」(小判型の板の中央に首を差し込むための穴を開けた板)と、削った「竹の輪」(腰輪こしわ)を、前後二枚の丈夫な木綿布でつないだだけの単純な構造だ。これに衿や上着・袴などを縫いつけ、腰輪の位置に結ぶ。
着物には、帯の下のところに主遣いが、左手を入れるための穴があけてある。手足は肩板の端に紐で結び付けてあるだけだ。
人形の重さは、三キロ〜八キロ位だが、主遣いの左手の手首にすべての重みが集中するので、10キロのも20キロにも感じられるといわれる。


人形あつかいは?


人形一体を「主遣い(おもづかい)」、左手を担当する「左遣い」、足を担当する「足遣い」の三人で遣う。主遣いは、衣装の帯の下から差し込んだ左手で、人形の首を操作する胴串(どぐし)と呼ばれる棒を握って首を遣い、右手で人形の右手を遣う。主遣いが人形の首や肩を遣う動きによって無言で出す微妙な合図を、左遣い・足遣いが瞬時に読み取り、その指示通りに人形を遣うことで、生きた人間のような動作を作り上げる。 左遣いは空いている左手で、人形が使う小道具も扱う。これらの小道具は、介錯(かいしゃく)と呼ばれる若い人形遣いが事前に小道具部屋から受け取り、観客に見えぬよう舞台に設けられた手摺の陰で左遣いに渡す。左遣いは、いったんそれを黒衣(くろご)のポケットに入れ、必要なときに取り出して遣う。使い終わった小道具は、再び介錯が受け取り、小道具部屋へ返却する。

これまで、見てきたように、文楽は時代発生的にもまた演劇的にも歌舞伎とよく似た内容をもつ芸能だ。一方は、人形が演じ、他方は人間(男性)が演じる。従って、その演目も同じものが多々見受けられる。
最後に、文楽の有名な演目を二・三挙げて終わることにしよう。



おすすめ演目

時代物
*『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』(時)
*『義経千本桜:平家女護島(へいけにょごのしま)』(時)
*『仮名手本忠臣蔵』(時)
*『義経千本桜』(時)
*『菅原伝授手習鑑』(時)
*『生写朝顔話』(時)
*『伊賀越道中双六』(時)
*『恋女房染分手綱』(時)
*『壺坂霊験記』

世話物
*『曽根崎心中』(世)
*『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』(世)
*『艶容女舞衣』(世)
*『冥途の飛脚』(世)

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