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熱狂!よさこい祭り編 ![]()
2003年夏、これまで、何度も観戦するだけで「いつかは踊るぞ!」と心には決めていた高知のよさこいまつり。ついに、参戦する日がきた。
よさこいに初めて出会ったのは、高知道が開通した年なので、1991年か1992年ぐらいのことだったと思う。これまで、盆踊りといえば高松の「一合まいた」ぐらいしか知らなかった私にとって、よさこいまつりは異常なほどテンションが高かった。昼間っから、公園、商店街、あちこちの道々ででっかい音を鳴らして踊り回っている。それも、みんな同じ音ではなく、それぞれが先頭のトラックから自分の連の音楽を自前でならしている。その音楽たるや、盆踊りのお囃子ではない。正真正銘ダンスミュージック。それに続く踊りの激しさ、華やかさ、笑顔。こんな熱狂的な祭りがあるんや!という衝撃的な印象を憶えたのがそもそもの始まりでした。
時を同じくして徳島の阿波踊りも初観戦を果たしたが、こちらはあまり私を呼んでいなかったようだ。
その後、何度も夏になると高知を訪れその度ごとに満足感とともに、何か物足りなさを感じるようになった。「踊りたい!」。大学時代、アルバイトをしていたD社は、本社が高知にあり、高知の人と話す機会があった。その時、よさこいについて聞いた話には正直驚いた。
1.踊りの練習は毎週ぐらい行われる。
2.申し込む際、連に2〜3万円ほど払う。
何〜!?踊るのに金払うんかい!?高松祭りなんか、頼むけん踊ってくれ!って依頼が来るんぞ!。それに当時、香川によさこい連があることすら知らないので、高知に練習に来るなんてまず無理な話だ!と思っていた。
というわけで、しばらくは観戦モードのみであったのだが、観音寺に引っ越してから、状況が変わった。
2002年、多分春頃、大野原のコンビニに、よさこい踊り子募集の張り紙があり、連絡先を見ると大野原町内。これならいける!と思ったが、なぜかその年は動かなかった。
<momo5カ月。よさこい観戦デビュー>
翌2003年5月、ふと昨年見たよさこい連(さぬき踊らんな連)の話を思い出し、昨年張り紙のあった連絡先に尋ねる。しかし、既にメンバーはいっぱいで締め切ったらしい。すると、もう一つ、立ち上げたばかりの連があると教えてくれて、縁あって「お喜楽家」でお世話になることになったのでした。
さて、練習はさておき、当日。2003年8月10日。天気晴れ。絶好の踊り日和だ。しかし!今年はよさこい50回目の記念大会で、踊り連も人出も多かったためか、高知道入り口付近で早速渋滞に引っかかる。結局高知入りしたのは13時前になり、結果、一つ回る演舞場(知寄)が少なくなってしまった。残念。
これまで、一応川之江、観音寺と踊りの場には参加してきて、多少踊り慣れもしたかな?と自分では思っていたが、やはり、本場の重圧は重い。ドキドキで第1発目、さえんばに入っていく。
さえんばでは、3回弱踊れたが、一発目の張り切りと、ビールが回って、途中でヘロヘロになってしまった。
にしても、最高だね。本場のよさこい。
バスで移動し、追手筋に行く。ここは、いわゆる日曜市の開催される通り。高知ローカルで中継も入っているし、有料桟敷もオフィシャルの審査もある。張り切って行くぞ!。

<本部のある追手筋。張り切っていきます。>
その流れで、そのまま帯屋街へ入る。この日最長の踊りコース。曲6回分ほど踊れる長さ。みんなは大変だ!しんどや!と言っていたが、私はここで踊りたかった!念願の帯屋町。金も名誉も女もいらない。踊りたいのは、ただただ帯屋町。

<憧れの帯屋町。このシチュエーション。よさこいの原点>

<momoお揃いのハッピをつくってもらって応援>
ぐるっと回って、大丸前でゆずジュースを飲んで、中央公園ステージへ。中央公園はお客は多いが、ま、こんなもんか。

その後、高知パレスHで打ち上げをして、帰路についたのでした。
さらに、12日のよさこい全国大会にも参加でき、2003年の夏が熱狂のうちに過ぎていったのでした。

<こいつらです。2003年お喜楽家(総勢150人の一部)>
後日、丸亀の婆娑羅まつりに参加して、ちゃっかり個人賞(銀の鳴子)までいただいちゃいました。ちょっとうれしい!けど、本場高知の個人メダルが取れなかったのが心残り。2004年にはリベンジを果たすぞ。
追記 観音寺商工会議所発行のフリーペーパーFUN2/3月号に「お喜楽家」の記事が掲載されていましたので、紹介。
<クリックすれば記事が読めるぐらいの画像が出ます>
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